「日本人」になったが米統治下の沖縄では「外国人」扱い 奄美の日本復帰65年

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 先の大戦後、沖縄同様に米軍占領下に置かれた鹿児島県奄美群島が日本に復帰して25日で65年。この日を境に群島民は再び「日本人」となったが、戦後、基地建設で沸く沖縄へ移り住んだ多くの奄美地方出身者は、沖縄が復帰する72年まで「外国人」として扱われることになった。「分断と苦悩の連続だった奄美の歴史は、多くを語られてこなかった」。奄美大島出身で沖縄奄美連合会会長の奥田末吉さん(75)=糸満市=は後世へ史実を継承することの重要性を訴える。

 戦後、沖縄は基地の島として道路建設などの整備が急速に進められた一方で、「米軍の戦略的にあまり価値がなかった奄美は野放しにされていた」(奥田さん)。食べるものは餓死しない程度の配給だけ。本土よりも比較的自由に渡航できたこともあり、多くの人々が沖縄へ渡った。島に残った者は貧しい生活から脱しようと一致団結し、復帰嘆願署名や断食ストライキを敢行。53年に日本復帰をもぎ取った。

 「大人に混じってちょうちん行列に参加した。みんな大喜びで一晩中お祭り騒ぎだったよ」。奥田さんは小学4年生当時の記憶をたぐり寄せる。

 復帰後は政府の振興策で島の様相も瞬く間に変わり「教科書は本土と同じものになり、校舎も道路もどんどん整備された」。

 奄美群島の復帰から遅れること18年余り、72年には沖縄も日本に復帰した。高校卒業後、自衛隊に入隊した奥田さんは復帰から3日後に派遣隊として沖縄へ渡った。それから、戦後に沖縄に渡った先輩たちの郷里に対する思いや、時代に翻弄(ほんろう)された苦難の歴史を知った。ただ、密航や養子縁組、偽装結婚など複雑な事情を持つ人も少なくなく、多くが証言を拒んだため、戦後沖縄の奄美人(あまみんちゅ)の歩みをつづった記録はほとんど残っていなかった。

 「悲しい記憶も全てが史実。歴史の風化だけは避けないと」。奥田さんは40年前からボランティアで聞き取り調査と資料収集を続け、2014年には記念誌「愛郷無限」を発刊した。今、奄美群島の人々に必要なのは自分たちの島の歴史と価値を再確認する郷土教育だと指摘する。

 「お手本はウチナーンチュ。奄美の若者にはルーツを大事にし、郷土に誇りを持ってもらいたい」。奥田さんは痛みを分かち合った奄美と沖縄だからこそ、学び合えることがたくさんあると訴える。

 (当銘千絵)