目をおおう米軍による性被害 沖縄の犠牲いままた

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江刺昭子

女性史研究者

江刺昭子

女性史研究者

えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家・大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。著書に「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち」「樺美智子 聖少女伝説」など多数。

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2016年6月19日、米軍属による女性暴行殺害事件に抗議する県民大会で「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」と訴える玉城愛さん

 那覇で行われた地域女性史研究会の例会に参加した。女性史研究者の宮城晴美(みやぎ・はるみ)さんの企画で、例会に先だち名護市辺野古の米軍新基地建設予定地を訪れた。県民多数の反対をおして政府が土砂投入を決行する直前である。曇り空で、水平線は縹渺(ひょうびょう)と煙り、立ち入り禁止区域を示すフロートが醜い疵(きず)のように海上を這(は)っている。わたしには、この穏やかな場所が修羅の海にならぬよう願うことしかできない。

 往復のバス車中での米軍基地をめぐる解説と例会報告「沖縄の近現代史における沖縄女性の性」は高里鈴代(たかざと・すずよ)さんの担当。長年、那覇市の相談員やNGO活動を通じ、米兵の暴行を受けた女性を支援してきた人で、沖縄の米軍がどれほど県民、とりわけ女性の人権を踏みにじってきたか、語り続けてなお、語り尽くせぬようだった。

 そもそも辺野古に新基地建設が持ちあがったのは、1995年9月、米兵3人が小学生を拉致、強姦した事件が発端である。これに抗議して10月21日、県民総決起大会が開かれ8万5千人が参加した。翌年、日米両政府で移設という条件付きで普天間飛行場返還が合意され、曲折の末、移設先が辺野古に決まった。95年は、国連主催の北京女性会議で、女性の性の権利(セクシュアル・ライツ)が重要な論点になり、「女性の権利は人権」という宣言が出された年である。

 沖縄は72年まで米軍施政下にあり、日本返還後も米兵による数えきれないほどの性犯罪があると言われながら、実態は不明だった。それなら調べようと、宮城、高里らの「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会・沖縄」は、新聞、書籍、公文書、証言などをもとに年表形式の冊子『沖縄・米兵による女性への性犯罪』を作成した。最初はA4で4ページだったが、調査が進んで12版を重ね、28ページにもなっている。闇に沈んでいた性犯罪がようやく見えてきたが、未調査のもの、そもそも表面化していない事件を数えると、どれほどの件数になるのか想像を絶する。

 目をおおいたくなるのは、45年4月に米軍が沖縄本島に上陸後、50年代までの強姦事件の多さ。まさに無法地帯で、兵士にとって沖縄の女たちは「戦利品」だったのかと思わせる。51年に「戦後6年間の強姦事件、278件」とある。55年には6歳の少女が拉致、強姦、惨殺された。72年の復帰後、沖縄県警が検挙した強姦は73年に14件・被疑者17人、74年は11件・被疑者14人とある。

 とくに基地周辺で米兵相手に働く女性の被害は、訴えても軽くみられる傾向がある。被害者が誰であれ、性犯罪であることに変わりはない。とかく、少女が被害者の場合、その無垢さが強調され、抗議行動を盛り上げる要素にもなるが、誰に対してもひどい人権侵害であることはおさえておきたい。

 悲劇は続いている。2016年5月、うるま市の20歳の女性が、嘉手納基地勤務の元海兵隊員・軍属に強姦のうえ殺害されたのは記憶に新しい。この事件は本土でも大きく報じられたが、知人の女性が「夜、一人でランニングしてたんでしょう。被害者も不注意だったんじゃない」と言い捨てたのには驚いた。横浜に住むわたしの周辺でも、仕事や会合などで夜遅く帰宅する女性は多いし、早朝や夜、ウォーキングやランニングをする人もよく見かける。それで非難されたという話はきかない。どこの町であれ、夜中でも安心して外出できるのが当たり前にならなければいけない。

 去年から今年にかけて話題になった女性問題は、日本でも伊藤詩織さんらの告発で広がった「#MeToo」運動や前財務事務次官のセクハラである。他人ごとではなく、わがこととして考えた人も少なくないだろう。だが、そのときわたしたちは、沖縄の女性たちがさらされている性犯罪の危険にどれだけ思いを致しただろうか。わたしは考えが及ばなかった。当事者への想像力が欠如していると言われてもしかたがない。

 東日本大震災後、「絆」が流行語になった。沖縄の言葉で絆に近いのは「結い」。ずばりそのままのタイトルの芸術作品が、宜野湾市の佐喜眞(さきま)美術館にある。入ってすぐのフロアに展示されている照屋勇賢(てるや・ゆうけん)さんの「結い、YOU-I」である。

 沖縄の伝統工芸である紅型(びんがた)で染めあげた衣裳で、紅型の古典的なモチーフの松、梅、菊、小鳥、青海波などが目に入る。「きれいね」と近づいて息をのんだ。肩から腰にかけて描かれた桜に連なっているのは在沖米軍のパラシュート部隊。兵士は銃を構えているではないか。裾の部分にはこれも紅型独特の大輪の菊と菊の間をチョウと多数のオスプレイが飛ぶ。ジュゴンも波間に戯れ、異質なものが巧みに配置されていた。

 作者は沖縄出身の現代アート作家。米軍基地は沖縄固有のものの中に溶け込んで風景にまで化した。それを表現したとみられる。美しいが残酷なこの衣裳を身にまとうのは女性だから、沖縄の女性の悲哀に気づかせようという意図も込められているのかもしれない。

 この美術館の建つ土地はもともとは普天間飛行場内にあった。佐喜眞道夫館長の先祖伝来の土地で、館長はたった一人で米軍に返還を求めて交渉し、取り戻した。ガマをイメージしたという美術館の奥に進むと、丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」が展示されている。

 悲惨な地上戦の末、集団自決などで犠牲になった女や子どもが描かれている絵の前で、立ち尽くす。本土への空襲を遅らせるために捨て石にされた沖縄。戦後も日本の独立と引きかえに米軍占領下へ、そしていままた、わたしたちは犠牲を押し付けようとしている。それでいいのだろうか。(女性史研究者・江刺昭子)