「サッカーコラム」アジアの“二流国”からW杯常連国へ 「平成」とともに強くなった日本サッカー

開幕セレモニーでレーザー光線が彩る中を入場するJリーグの大フラッグ=1993(平成5)年5月15日

 サッカーを愛する人の多くは、4年ごとに開催されるワールドカップ(W杯)を基準にした西暦で自分の年齢を刻んでいるのではないだろうか。一方、役所関係の書類は昭和や平成のいわゆる和暦で記述されている。その元号が来年の5月1日から新しくなる。まだ、日はあるものの一つの時代が幕を下ろすことになる。

 もう30年も前のことになるが、昭和最後の日となった昭和64(1989)年1月7日のことをよく記憶している。昭和天皇が崩御された日だ。その日はサッカーの全国高校選手権の準決勝が行われるはずだった。大学ラグビーとの関係で旧国立競技場が使えず、駒沢陸上競技場での実施が予定されていたため、延期の情報もつかめない状況でスタジアムに向かった。現在ならネットや携帯電話で情報を得られるのだろうが、当時はそんな便利なものはない。現場に着いたらスタンドに観客はいなかった。数時間を経て試合は2日後への延期が決まったのだが、余ってしまった関係者用の弁当をたくさんもらって帰ったのを覚えている。

 振り返ると「平成」という時代は、日本サッカーが驚くほどの速度で変化を遂げていった時期でもあった。とはいえ、その初期における日本代表はどの年代でもアジアの“二流国”だった。

 平成元年となった89年、翌年のW杯イタリア大会を目指した日本代表はアジア1次予選であえなく敗退。92年バルセロナ五輪を目指したチームも、6カ国が進出したアジア最終予選では5位に終わり予選落ちに終わった。さらにU―20ワールドカップも93年まで7大会連続でアジアの壁に阻まれた。

 そんな弱小国が劇的な変化を遂げた裏には、サッカー関係者が強引にプロ化を推し進めたことがある。当時の日本スポーツ界は、プロ野球や実業団に代表されるように企業が主導していた。そんな中で、親会社に頼らず地域密着をうたうサッカー界の試みは明らかに「異端」で、不安要素も少なからずあった。しかし、振り返ると93年開幕のタイミングで計画が進んでいなかったら、プロ化そのものが実現しなかったのではないだろうか。80年代後半に起きたいわゆる「バブル景気」に踊った日本経済が、91年から93年にかけての景気後退で“崩壊”。その後、「失われた20年」といわれる経済の低成長期に陥った。Jリーグの開幕が93年から1年でも遅れていたら、「地域に根差した」という理念だけをよりどころに、企業色を排して船出するプロジェクトにどれだけの企業が賛同しただろう。

 当初「日本代表を強化するため」という目的で発足したJリーグは、着実に歩みを進めたといえる。途中、93年10月28日の「ドーハの悲劇」という大きな代償は払ったが、得た教訓はそれ以上に大きなものだった。98年のフランス大会で初のW杯出場を果たすと、日本代表は2018年のロシア大会まで6大会連続で世界最高峰の舞台に立っている。アジア相手でも勝つことのできなかった平成初期に、日本のサッカーレベルがここまで向上することを予想できた人間は、関係者でも多くはあるまい。

 Jリーグのもう一つの功績。それは下部組織を義務付け、若手育成を重視したことだ。日本がW杯に初出場したフランス大会。22人の登録メンバーはすべてJリーガーだった。しかし、現在はメンバーの多くが欧州でプレーしている。これは日本がチームとして強くなっただけではなく、個人としてレベルが上がったことを意味する。金を払っても戦力として確保したい。そう思わせる選手が増えたということだ。今後は、欧州連合(EU)外の外国人選手に「枠」があるイングランドやスペイン、イタリアなどのリーグに、多くの選手が進出することができれば日本のレベルはさらに上がるだろう。

 以前、一緒にボールを蹴っていた小学生たちが、「昭和時代」と呼んでいて驚いた。それは自分が「大正時代」といっていたのと同じことなのだろう。そして「平成」もいずれ「時代」がついて子供たちに呼ばれるはずだ。

 古くから日本のサッカーを見続けてきた者にとって、「平成」という時代はかなり幸せだったのではないだろうか。夢と思われていたW杯に6度も出場しただけでなく、決勝トーナメントにも3度進出したのだから。そして、18年7月2日のロストフで日本はW杯でさらに高みを狙えるという確信を得た。確かに悲劇的な結末ではあった。しかし、初のベスト8進出をかけたあのベルギー戦で、守りを固めずに真っ向勝負で挑んだ末に2―3で惜敗した一戦は、攻めに出るサッカーでも日本が通用しうるということを証明した。西野朗監督は、希望にあふれる未来を見せてくれたといえる。

 平成の次に来る時代。日本サッカーが次に目指すのはクラブレベルでの戦いだろう。先日、アラブ首長国連邦(UAE)で開かれたクラブW杯でレアル・マドリードに完敗したJ1鹿島。その試合を見て、すべてをレベルアップしなければ永遠にかなわないと思った。日本で一番強いチームは、日本代表だ。そしてレアル・マドリード(スペイン)は、ベルギー代表よりはるかに完成された強さがある。だから、日本とベルギーより、鹿島とレアルに差があるのは当然だ。

 問題は、クラブレベルでのその差をどのようにつめるかだ。それが果たされたとき、日本には世界一流のリーグが存在するはずだ。平成の次の時代、それは実現するだろうか。日本サッカーを見続けていきたい。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

© 一般社団法人共同通信社