昌子の運命は?欧州に挑戦した日本人センターバックたち

鹿島アントラーズのDF昌子源が、フランス1部トゥールーズへ移籍する。

欧州におけるセンターバックは第一に体の大きさ、強さを求められるポジションであり、日本人にとってはGKやストライカーと並んで“鬼門”ともいえるポジションだ。

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そこで今回は、そんなハンデを覚悟しながらも欧州の主要リーグに挑戦した日本人選手を振り返ろう。

植田直通

2018~ セルクル・ブルッヘ(ベルギー)

南野、中島、中村航輔らと同じ“94ジャパン”の主力として、また、鹿島で昌子の相棒として活躍した大型DFは、2018年ワールドカップで出番を与えられず、成長を期して欧州へ渡った。

ベルギーでも当初は出場機会を得られなかったものの、最近は3バックの右ストッパーとして継続して出場しており、先月には首位ゲンク撃破に貢献した。

恵まれた体格を持ち、テコンドー経験者でもある植田は、日本には珍しく相手と“ガチンコ”でやり合える武闘派なだけに、これからの成長に期待したい。

鈴木大輔

2016-2018 ジムナスティック・タラゴナ(スペイン)

類まれな対人戦の強さを武器に、ロンドン五輪で吉田麻也の相方を務めた鈴木。

その後A代表に招集されたものの定着とはならず、2016年冬、環境の変化を求めて柏レイソルからスペインのジムナスティックへ。当初は右サイドバックとの併用となったが、途中からセンターバックのポジションを獲得し堅守を形成した。

ただプレーオフ決勝に敗れ昇格を逃すと、その後2シーズンは昇格争いに絡めず。結局1部でプレーすることはかなわず、今年、日本に復帰している。

冨安健洋

2018~ シント・トロイデン(ベルギー)

「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳監督から薫陶を受けて成長する俊英は昨冬、10代にしてベルギーへ渡ると、10月のパナマ戦では早くもA代表デビューを果たした。

188cmと大型の選手だが福岡時代はボランチ、シントトロイデンでは右サイドバックをこなすなど器用な一面もある。先月のアンデルレヒト戦ではセットプレーから移籍後初ゴールも決めた。

吉田麻也が彼と同じ20歳だった時と比べても完成度は高く、今後の期待が高まるばかりだ。

槙野智章

2011 1FCケルン(ドイツ)

デビュー当初は「得点王を狙う」と豪語した元気印も、今や日本を代表するセンターバックへと成長した。

最近、今季のJ1において“警告ゼロ”であったことが話題となったが、実は彼にとってはこれが二度目のこと。広島時代の2010年には全34試合出場で“警告ゼロ”を達成している。

その活躍は当時、浦和の監督を退任したばかりだったフォルカー・フィンケの目に留まり、槙野はフィンケがTDに就任したケルンへ急遽移籍することに。ただ当時の彼はまだ発展途上にあり、現地で1対1の弱さを指摘されるなど1年間で8試合の出場に止まった。

宮本恒靖

2006-2008 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)

現在ガンバ大阪を率いるこの男は、選手としてもピッチ上の指揮官であった。

体格はやや小柄で運動能力も高くなかったが、クレバーな守備やラインコントロール、フィード能力でそれを補い、日韓W杯では顔に黒いガードを巻いてフラット3を統率した。

そんな彼は一時ウェストハム行きが近付いたが労働ビザの関係で実現せず。しかし2006年ワールドカップ後、レッドブルが買収したばかりのザルツブルクに三都主アレサンドロとともに移籍した。

千葉和彦

2004-2005 AGOVV(オランダ2部)

サンフレッチェ広島で塩谷、水本と不動の3バックを形成し、J1を制覇したセンターバック。

彼は高校時代に全国選手権へ出場しているがプロからのオファーはなく、卒業後にオランダ2部のAGOVVへ。半レギュラー的に活躍したものの、シーズンオフの帰国中に新潟が興味を持ちJリーグ入りしたため短期間で帰国した。

ちなみに本人曰く、AGOVV時代はあのフンテラールと少しだけプレーした経験があるらしい。

伊野波雅彦

2011-2012 ハイデュク・スプリト(クロアチア)

周囲が羨む運動能力とクレバーな守備センスを武器に、様々なポジションをソツなくこなすJリーグ屈指のDF。

2011年アジアカップのカタール戦で値千金の決勝弾を決めた彼は、2011-12シーズン、即戦力のセンターバックを求めていたクロアチアの強豪ハイドゥク・スプリトと契約を結び、念願だった欧州移籍を果たす。

チームでは主力として起用され、リーグ戦でもゴールを上げた。しかしクラブに“給与の未払い問題”が生じてしまい、シーズン途中に退団することとなっている。

吉田麻也

2010-2012 VVV(オランダ)
2012~ サウサンプトン(イングランド)

名古屋時代の先輩・本田圭佑の後を追ってVVVへ加入した吉田。

オランダでは何度かスーパーゴールを決めたものの、肝心の守備ではチームの戦力的な状況もあり不安定なプレーが散見した。しかしサウサンプトンへ移籍して以降は世界最高峰の舞台、類まれなタレントと対峙する中で実力に磨きをかけ、アジアを代表するセンターバックへと成長している。

今夏のワールドカップでは昌子とコンビを組み、日本代表の躍進に貢献した。長谷部誠が代表を引退した森保体制では主将に任命されている。

結城耕造

2009-2010 フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ2部)

早稲田大を休学してプロ入りしたストッパー。大型ながら身体能力、足元の技術に優れることから潜在能力を高く評価され、ジェフ千葉時代はあのオシムに寵愛された。

幼稚園の頃にドイツで暮らしたこともあり2009年には当時2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフと契約、2試合に出場している。

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