川口能活に、引退した今だから聞けた「ライバル楢崎正剛」と「悔いが残る試合」

長く日本代表のゴールマウスに立ち、守護神として数多のピンチを防いできた川口能活。

日本代表歴代3位の116キャップといった数字はもちろんのこと、その25年のプロキャリアに様々な出来事があったことをサッカーファンの誰もが知る、まさにレジェンドだ。

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43歳となり、2018シーズン限りで現役を退いた川口が先日、セガの人気ゲーム『サカつく ロード・トゥ・ワールド』のJリーグモードの発表イベントに登場。イベント後、Qolyは単独インタビューをすることできたので、引退試合や“ライバル”楢崎正剛との思い出などを直撃した。

「もし戻れるなら、あの瞬間に戻りたい」という現役を退いた今だからこその貴重な話も聞くことができたぞ。お楽しみに!

いつもと違った「最後の試合」

――現役生活、本当にお疲れ様でした。長いプロキャリアを終えられて今、率直にどんな気持ちでしょうか?

シーズンが終わってオフに入り、来年もしプレーするとしても、実はこの時期は今と変わらないんですよね。だから正直実感としてはまだそこまでありません。1月の中旬ぐらいからチームが始動してキャンプとか始まって、初めてもう選手じゃないんだなというのを感じるのかなと。今はまだ普通のオフと一緒ですね。

ただ、今までであればオフの中にも緊張感を常に持ち続けていたんですけど、そういうことはないです。体を動かすには動かすかもしれないですけど、動かすことを楽しむために動くという意味ではプレッシャーを感じることがないので、そういった意味で精神的には楽になっています。

――引退試合となった鹿児島ユナイテッドFC戦は自身の好セーブなどもあり、きっちり完封勝利を収めました。この試合に臨むにあたって普段と違う感覚はありましたか?

最後の試合で、選手たちも「能活さんのために頑張る」という空気の中でトレーニングが行われていましたし、試合にもお客さんがたくさん入るということを聞いていました。

僕自身としても良いプレーをしたい、あるいは勝たなければいけない、勝ちたいという気持ちなど、色々な要素が重なり、実はものすごく緊張はしていました。

プレッシャーがかなりあったんですが、家を出る時に奥さんから「最後の試合だし、楽しんだら」と言葉をかけてもらって、気持ちが楽になりました。泣いても笑っても最後の試合なので、深く考えずに試合に臨もうと。

ただ、試合前日などは本当に、緊張していて眠れなかったです。あまり試合の前に眠れなかったということはなかったんですが、色々なことが思い出され、フラッシュバックしてなかなか寝付けませんでした。

――スタジアムは凄い雰囲気でした。

僕がJ3へ来てSC相模原でプレーすることになって、初めてギオンスタジアムが満員になるのを見ました。メインやバックはもちろん、ゴール裏の芝生席もほぼ埋まっていたんです。普段、特にアウェイ席はなかなかそういうことがないので、感動的でしたね。

「よっちゃん出るの?」

――そういった中で見事に勝利を手にし、引退セレモニーには楢崎選手が登場しました。

本当にサプライズでした。実は試合の2日くらい前に電話をした時、「よっちゃん出るの?」と聞かれたんです。「もしかしたら出るかもしれないけど、まだわからない」というやり取りをして、その時は何でそんなことを聞くのかなと思ったんですが、こういうことだったんだなというのがセレモニーの時に分かりました。

やっぱり自分にとってライバルであり、特別な選手なので、彼がセレモニーに来てくれて、しかも記念Tシャツまで着てくれて(笑)。そこまでして僕のラストマッチに来てくれたというのは感慨深かったですね。嬉しかったです。一番来てほしい選手に来てもらえました。

彼とは二人とも年齢を重ねていくごとに、お互いが存在をリスペクトする良い関係になっていきました。もちろん出会った頃からそういった気持ちはあったんですが、若い頃は「自分が出たい」という気持ちがとにかく先に来るので、その表現がうまくできずコミュニケーションがうまく取れていなかった時期もありました。

ただ、年齢を重ねると、お互いの気持ちが分かってくるじゃないですか。日本代表の正ゴールキーパーを目指す、奪う・奪われるということを繰り返して、二人にしかわからない気持ちというのがあった上で少しずつお互いを理解し、リスペクトし合う関係になっていたんですよね。それが、日本代表がお互いに選ばれなくなった後もJリーグの舞台で戦うといったことを繰り返し、この歳になってもともに現役を続けていた。

そういう関係性にある二人が、あの場で、あのような形のセレモニーをしてもらえたというのは、僕と正剛の関係がお互いしっかりリスペクトし合っているということを分かってもらえた特別な瞬間でしたね。多くのサッカーファンの方々が僕と正剛の関係を気にされていたと思いますし。

――思い出すと、私も涙が出てきます…。楢崎選手との間で一番印象に残っていることは何ですか?

日本代表に選ばれていた終盤の頃、中澤佑二も交え「散歩隊」でよく一緒に散歩へ行ったりとか、若い時には僕と正剛がうまく溶け込めるよう先輩たちが、特に中山(雅史)さんが「二人、大丈夫?」といった感じでよくセットでいじられていたんです。

僕ら二人は常に一緒にトレーニングをして、お互い代表でプレーし、ミスあるいは大量失点した際はすぐに入れ替わるという危機感の中で切磋琢磨していましたから、そのこと自体が思い出ですね。

自身にとってのライバルクラブ

――GKはサッカーの中でも特殊なポジションで、常に一人しか試合に出られません。たとえばサブの立場でいる時、練習や試合でどのようなことを考え、気持ちを上げていくのでしょうか?

お互いの良さがありますから、そこを見ながら、常に出番を待つ。ただ代表チームというのはもちろん毎回同じではないので、代表が解散した後はクラブでもう一度出直してアピールをする。そういうことを繰り返し、正剛と切磋琢磨したからこそ成長できたことは間違いないです。

――2001年にイングランドのポーツマスへ移籍し、日本人GKとして初めて欧州へ渡りました。2002年の日韓ワールドカップを前にして決断でしたが、それを後押ししたものは何でしたか?

自分がより高いレベルでチャレンジしたいという気持ちがすごくあったので、オファーが来たタイミングで海外に挑戦したいと思いました。2001年の時点でも代表である程度経験を積めていましたし、2002年の日韓ワールドカップも当然すごく大事なものだったんですが、海外に出て自分が挑戦したい気持ちがあり、そこを優先しました。

――ちなみに、ポーツマスというと吉田麻也選手が現在所属しているサウサンプトンとライバル関係ですよね。

そうなんですよ。僕がいた時はサウサンプトンがプレミアにいたので同じリーグで戦うことはなかったんですが、その後クラブの立場が逆転した時期とかもありました。ポーツマスはどちらかというと軍港の街で、サウサンプトンは商業や経済が発展している。街のカラーがちょっと違うので、そこで衝突というかライバル関係がありましたね。

――川口さんの中でライバルと言える存在のクラブはどこでしたか?所属しているクラブによっても変わる部分だとは思うんですが。

そうですね。ダービーという意味では、横浜マリノス(当時)の時は横浜フリューゲルスでしたし、ジュビロ磐田の時は清水エスパルスでした。

…あ、でも、本当のライバルクラブにはいつも楢崎正剛がいました(笑)。やはり楢崎正剛はライバルですから、そこのクラブは自分にとって常に倒さなければいけない相手です。横浜フリューゲルス、そして名古屋グランパスは自分にとってライバルクラブでした。

――なるほど。磐田と名古屋は距離も近いですし…。

あと、横浜マリノスにいた時の名古屋グランパスは、同じ自動車メーカーということもありましたから(笑)。

イングランドで感じたこと

――川口さんがプレーしたイングランド、デンマークは、ロシアワールドカップでもジョーダン・ピックフォードやカスパー・シュマイケルといった名手の活躍が光りました。ゴールキーパーにとってはどんな環境でしたか?

イングランドはやはりキーパーに対する要求が高いですし、「サッカーの母国」という自負も感じました。僕がいた時はまだ、セーブすること=良いキーパーで、もちろんそれは大事なことですが、僕が日本で意識していた攻撃のフィードだったり攻撃的なプレースタイルというのは特に2部のチャンピオンシップではそこまで評価されませんでした。

ただ、今のプレミアリーグは海外の指導者がどんどん来ているので、偉そうなことは言えないですが保守的なイングランドにおいてもキーパーに対する評価や要求が世界基準になってきているのかなと感じます。

下部のリーグに行くほど自分たちのサッカーにプライドを持っていました。でも、だからこそ「その国のスタイル」があるとも思います。どちらが良いとか悪いではなく、古き良きイングランドのスタイルがあって、そこにモダンなスタイルが入ってきて、より強くなるんじゃないかなと当時から思っていました。

この前のワールドカップでイングランド代表チームがそれを証明してくれましたし、若い選手たちも伸びてきている。世界の流れに応じたサッカーのスタイルの追求ももちろん大事なんですが、自分たちのスタイル、古き良きスタイルに絶対的な自信を持つことも大事だと僕は思います。

――今回のワールドカップはそれを再認識させてくれた大会であったと言えそうですね。川口選手がプロキャリアを振り返って、もっとも印象に残っている試合は何ですか?

たくさんあるので、1試合というのはなかなか難しいですね。日本代表に限定するのであれば、一般的にはアトランタ五輪のブラジル戦、2000年のアジアカップ決勝、そして2004年のアジアカップを挙げているんですけど。

ただ、自分が世界へ出ていくきっかけになったゲームは、アトランタ五輪予選の準決勝サウジアラビア戦。マレーシアのシャー・アラム・スタジアムで行われた試合です。あの試合があったからこそ自分が世界に目を向けることができたのでやはり印象深いです。

記憶に刻まれた、二つのプレー

――過去に戻れるなら、「これは止めたかった」「止めていれば」というシュートはありますか?

今までやって来たことに悔いは残っていないので…何でしょう。

――では逆に、止めて一番嬉しかったシュートは?

そうですね…。

今だから、引退したから言えますけど、あの瞬間に戻れるとしたら、ドイツワールドカップのオーストラリア戦。そして、止めて一番嬉しかったシュートは、次のクロアチア戦の(ダリヨ・スルナの)PKを止めた時ですかね。あの二つの試合は僕の中でセットになっています。

オーストラリア戦の飛び出しというのは、自分にとって悔いがあるというか、いつ追いつかれてもおかしくないようなオーストラリアの圧力、さらに日本の選手たちの消耗もある中で、なんとか流れを断ち切りたくて、自分が前へ飛び出してクリアしようと。その判断が裏目に出て同点ゴールを喫し、逆転負けに繋がってしまいました。

そういった流れで、次のクロアチア戦、あのPKを迎えた時、「これを決められたら、すべてが終わる」と。絶体絶命の気持ちだったんですけど、そこで止めて、なんとか最後のブラジル戦に繋げることができたプレーでした。

あの大会の2週間前に行われた親善試合のドイツ戦が非常に良かったんですが、その後のマルタ戦で逆に良くないゲームをしてしまって、そこからの一週間というのはチームの雰囲気も重くてオーストラリア戦はあまりいい状況で臨めませんでした。

先制はしましたけどオーストラリアが常に主導権を握るゲームの中、あと5分ほど我慢すればという時間だったんですけど、あの飛び出しが結果的に苦しい状況を生んでしまったので…戻れるとしたらあそこですね。

まあ無理なんですけど(笑)。これは引退したから言える話ですね。

――貴重なお話です。ちなみに、キャリアを通じて、たとえば1対1などで多くの選手と対峙してきたと思います。シュートが上手い選手と下手な選手の違いはどういったところしょうか?

シュートが上手い選手は基本的にシュートを打つことに慣れていますね。シュートを数多く打つ選手はシュートが上手いですし、またたとえば、ロナウドはゴールキーパーの様子を観察し、特徴を見てシュートを打ってくるように感じました。

試合の中でそれをやっていることに正直驚いて、「ちょっと次元が違うな」と。彼のシュートを防いでも、「キーパーが止めている」というより「キーパーに止めさせている」ような感覚さえ覚えましたね。

「苦しい時に活躍できる選手を育成・発掘したい」

――今日は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の発表会でしたが、サッカーゲームでは選手を強化する際、様々なトレーニングメニューが登場したりします。キャリアの中で「これは変わっていたな」と感じる練習があれば教えてください。

フィジカルトレーニングは前提としてあるんですが、キーパーにとって試合で一番難しいシチュエーションというのは、ディフレクトする(※何かに当たってコースが変わる)ボールに対して反応することです。よって、ディフレクションする状況を色々な形で、たとえば跳び箱などの障害物を置き直前でコースが変わるような練習は面白かったですね。

ただ、キーパーの練習はやはり反復トレーニングが大事なので、正直つらい…いや大変なんですよ(笑)。基本、毎日フィジカル練習なので。

だから、フィールドの選手がキーパーの練習をやったら多分全身筋肉痛になっちゃいます。それくらい大変です、キーパーのトレーニングは。でも楽しかったです(笑)。

――それでは最後に、今作の『サカつくRTW』はその名の通り「日本から世界へ」を目標に掲げたタイトルです。これから指導者になるにあたって、どのような選手を育てていきたいですか?

やはり大切なことは、苦しい時にいかにチームを救えるか、プレッシャーがかかった試合の中でいかに平常心で戦えるかだと思っています。よって、苦しい時に活躍できる、チームを救える選手を育成・発掘していきたいです。

――これからの活躍を楽しみにしています。本日は本当にありがとうございました!

川口氏と、『サカつくRTW』プロデューサーであるセガゲームスの山田理一郎氏(左)、ディレクターの宮崎伸周氏(右)。

J1とJ2に加え、川口氏が先日まで所属していたSC相模原などJ3クラブも搭載された『サカつくRTW』は好評配信中だ(関連記事はこちら)。

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