宇久島に「キリシタン習俗」 伸展葬や長方形墓 信仰消滅後も

 長崎県佐世保市宇久町の一部地域で、体を伸ばして埋葬する伸展葬などキリシタン特有の習俗が近年まで受け継がれていたことを、大浦天主堂キリシタン博物館(長崎市)の大石一久研究部長が確認した。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島列島には禁教期に多くの信徒が潜伏したが、最北部の宇久島では完全に排除されたとされる。大石氏は「信仰は途絶えたが習俗は残った。全国的に注目される特殊な事例」としている。
 大石氏らは2017年10月末から宇久島などで調査し、昨年3月に報告書をまとめた。
 報告書などによると、宇久島では火葬が普及する1965~74年ごろまで、死者は円筒形の棺おけに入れ、座った状態で土に埋める仏教式の屈葬が一般的だった。しかし、本飯良地区では長方形の棺おけにあおむけにして寝せ、胸の上で両手の指を組み、少し膝を曲げて埋葬していた。こうした伸展葬はキリシタンの墓にみられ、死後に復活する教えに沿っているという。
 同地区の葬儀では、遺族の女性が頭に白い布をかぶる習俗があり、カトリックの信徒がミサでベールをかぶる姿と似ている。祖母らの葬儀で伸展葬を見たという地元の野宮徳ノ助さん(68)は「カトリック信徒ではないが、これが当たり前だと思っていた」と話す。
 このほか、近くの神浦地区の鬼塚集落には、河原で集めたとみられる石を長方形に配置して作った墓(約2メートル×約3メートル)が残っている。大石氏は「断定はできないが、縦に長いキリシタン的な要素が濃い墓だ。江戸時代前期から17世紀後半にかけて作られた可能性がある」と分析する。
 宇久島は五島列島全域を治めた五島藩の発祥地で、16世紀後半の一時期はキリシタン大名が統治。東北を代表するキリシタン武将の後藤寿庵が洗礼を受けた場所とされるなど、かつてはカトリックと密接だった。しかし、禁教期の1622年に島内でイエズス会宣教師のカミロ・コスタンツォ神父が捕まり、処刑された後、信徒はいなくなったととされる。
 宇久町観光協会の村上正一会長は「現代までキリスト教の痕跡が残っていたことに驚いた。世界遺産登録で五島列島が注目されているが、宇久にも関わりがあることを観光客らに紹介したい」と話している。

長方形に石を配置して作られた墓=佐世保市宇久町、鬼塚集落

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