知里幸恵【30】

登別編

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アイヌ神謡 初めて文字化

富浦墓地に眠る知里幸恵と金成マツ

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに。と云う歌を私は歌いながら…」の一文で有名なアイヌ神謡集。冒頭紹介した「梟の神の自ら歌った謡」をはじめ全13話の神謡を掲載したこの本は、1923年(大正12年)、アイヌ民族自ら口承文芸のカムイユカラ(神謡)を文字化した初めてのアイヌ文学の本として誕生した。編纂(へんさん)・翻訳した知里幸恵(1903~1922)は、心臓麻痺(まひ)のため出版の前年、19年の短い生涯を終えた。

 知里幸恵は登別市生まれ。6歳の時、旭川に住む伯母の金成マツに預けられ、幸恵の祖母モナシノウクとの三人暮らしとなった。マツとモナシノウクはいずれもユカラの伝承者として有名で、特にモナシノウクはアイヌ語研究の第一人者、金田一京助が「アイヌ最大最後の叙事詩人」と賛辞を惜しまなかった人物。マツも後に紫綬褒章を受章した。この2人に育てられた環境が幸恵にとって天啓となったことは間違いない。

 1918年、金田一がジョン・バチェラーの紹介でマツとモナシノウクの元を訪問。その際、幸恵の語学の才を見抜き20年にノートを送り、ユカラなどのローマ字筆記を勧めた。このノートがアイヌ神謡集誕生のきっかけとなった。

 2002年(平成14年)、知里幸恵生誕100周年を契機とし記念館を建設しようという運動が活発になり募金活動がスタート。10年、登別本町に知里幸恵の業績を紹介し、彼女を通してアイヌ文化を広く伝えていく「知里幸恵 銀のしずく記念館」が建てられた。施設内には幸恵や弟の真志保、金成マツらの貴重な資料が並んでいる。冒頭の詩と並んで名文とされる「その昔この広い北海道は、わたしたちの先祖の自由の天地でありました…」の序文も、英語、韓国語、中国語(簡体字)で用意されている。興味がある人はぜひ来館を。
(北川誠)

 ※「カムイユカラ」、「ユカラ」の「ラ」は小文字

(2018年12月30日掲載)