第五回「イノマー、平成最後の餓死に!? 生きるために食べろ、食え、食い散らかせ!」

朝の7時30分、病院受付に並んだ順番に配布される放射線の順番カード。

7時30分前にはオイラも病院敷地内にいるのだけれど……

最高位は2位止まりだった。じーさん&ばーさん、恐るべし

ICUの思ひ出……

もう少し、集中治療室=ICUに関して書こうと思う。何となくベールに包まれたというか、どういう部屋なのかわかりづらい。病院というか国家権力者に「本当のこと書いちゃいけないの……わかってるよね?」って言われてるみたいで気持ち悪い。

ICUの部屋はカーテンで仕切られてはいるものの、大きな手術を終えたばかりの重病患者が勢揃いで落ち着かない。ここで力尽きて死んでいく人も多いんだろうな、なんて思ったりもした。

ICUにおいては食事や排泄は自分の意志で自由に行うことはできない(レベルの人が集められる)。人によって違うのだろうけど、オイラは全身チューブでぐるぐる巻き。自由に寝返りひとつうてなかった。

食事は口からではなく管で鼻から液体栄養素を胃に直接。あとは点滴だったのかな? なんで、大便は出ない。オイラ、1週間、ICUにいたのだけれどウンコしていない。

オシッコは尿道に管をブッ刺して自然排泄。だから、これまたトイレに行くということもない。基本、ずーーーーーっと寝ながら。ベッドで寝て、起きて、また寝るだけ。そりゃ床ずれもできる、ってなもん。お尻もズルズル。お猿のお尻は真っ赤っ赤。

ICUに入ると、もう寝るっきゃないの。ま、人間そんなに寝れるもんじゃない。しかも、ICU内はピー、ピー、ピー、ピーと、まーうるさい。1日中、MRIの中で生活しているようなもんだ。それにナースコールがトッピングされる。思い出すだけでもヘコむ。

気が狂いそうだ。

ICUにいる看護師さんは基本、集中治療室の専属ナース(?)。これはオイラの主観なので正しいとは言えないかもしれないけれど、彼女たち(若干数彼氏たち)入ったばかりのニュー・フェイス。見習いに近い人たちが多かったような気がしてならない。

包帯も巻けない、点滴も取れない。「あれ、どうだったっけ? ま、いっか」というひとりごとを耳元で聞いた瞬間には「助けてくれーーー、殺されるーーー」と心の声を出しまくった。喉に穴を開けていたので声にはならない。マブでカンベンしてくれ、と。

実験室? どこここ? 恐いよーーー。拷問部屋だ。オイラの担当についた、若いときの松居直美に似たコケシのような看護師見習いちゃんはICUの中でもいちばん下っ端っぽくて、朝、誰よりも早く来て、窓、壁&床拭きをしてた。雑巾がけね。

頑張ってるな、と思いつつもこのコにオイラは自分の命を預けてるんだな、と恐ろしくも思う。せっかくオイラが身体を貸してあげて、好きにさせているのに点滴は上手くならないし、たまった痰を取るのも究極にヘタくそ。包帯のテーピングも雑。

1回、マブで本当に殺されかけたことがある。そんときは彼女が管を外したの忘れて立ち去ってしまい、オイラは無呼吸で数分、彼女が戻ってくるのを待たなくてはいけなくなり、ナースコールを押し続けながら記憶が遠くなっていった。

「すみません、急に呼び出しがかかっちゃって」と戻ってきた松居直美。廊下にバケツを置きっぱなしにして怒られてたらしい……。

でも、今、オイラにはこのコしか頼りになる人間はいない。ビエーーーン。何てこったい。点滴に何を入れてるかだってわかったもんじゃない。こっちが喋れないと思って、管が複雑に身体に巻きついて気持ち悪かったのでもがいていると、「管がいっぱいで楽しそうですね〜〜〜」って、バカ野郎————。

舌を切ったため、お腹の肉を移植した。そのため、メスを入れたお腹がハンパなく痛かった。痛み止めをリクエストしたのだけれど、バファリンみたいなちょっとした頭痛に効きそうな薬しか点滴で注入してくれなかった。

バカなんだろう。

何つーのかな? “人間扱いされない”のがICUの時期はいちばんきつかった。“モノ扱い”なんだもん。あれは悲しい。

この狂った世界……

術後せん妄とは……手術後の錯乱、幻覚、妄想状態。暴言、暴力を伴うこともあり。

オイラは術後せん妄が1週間以上続いた。ICUを出て、一般病棟にうつった後もプラス1週間はこれに悩まされた。生きてる心地がしなかった。

だって、真夜中、気づくと知らない部屋のベッドの横にオイラ、立ってたりするんだもの。知らないおじさんが寝てる(笑)。アハハハハ。何だよ、このハゲチャビンは?

完全なる夢遊病。

実は手術の前日20時過ぎに“せん妄専属担当”と名乗る男がやってきて、今後、採血をする際に1本追加、横流しして欲しいとリクエストしてきた。もちろん、院内ルールに沿って。せん妄をもっと調べたいとのこと。

後から知ったのであるけれど、せん妄チームは病院内でまったくシカトされている、同好会的なセクションらしい。だと思った。ルックスがカジュアル過ぎるというか、中途半端な大学生みたいで信頼がまったく置けない。

“奴”が来たのが正確には20時45分くらい。手術前夜、アポなしで来る時間ではない。21時には消灯となる。オイラに舌がある残された貴重な時間。オイラはムダに“せん妄クソ野郎”にその15分を捧げることとなった。失礼な話だ。

母ちゃんが持ってきてくれたおにぎり、玉子焼き、梨を食べようと楽しみにしていたのに。

全部、捨てることになった。

手術後のオイラはICUの看護師だったり、せん妄クソ妄想野郎に術後回復というものをスゲー邪魔されたような気がする。ストレスで倒れそうだった。寝たきりだったけど。

病院の偉い人に言って担当を外してもらうようにお願いしたかったが、面倒なことになりそうだったのでヤメた。

クソせん妄野郎は何度も何度も空気を読まずに、何のアポも取らず「どうも〜〜、体調はどうですか〜〜?」といきなり病室に入ってきた。まず、この時点でおかしい。こっちは体調が悪く、寝てたりするのにお構いなし。出禁だよ。

毎回、今体調が悪いからと追い返していたのだが、あまりにしつこいので最後はキレて「オマエの存在がストレスで治らないよ。二度とオイラの前に顔出すんじゃねー!」と紙に書いて渡した。それ以来、クソせん妄野郎は来ることはなくなった。

ハッキリと言わないとわからないバカっているもんだ。

そもそも、バンドマンなんて、どんだけ深いせん妄の中で生きているかが勝負! みたいなところもある。

狂った世界で生きてる。その自覚があるかないか。オイラはオナマシの新しいアルバム『オナニー・グラフィティ』の中、「ブリキの太鼓」という曲でその辺のことは歌っている。是非、聴いてみてくんちゃい。

宣伝、宣伝。アルバム、名曲揃いと評判です。世田谷区代田3丁目界隈では。

健康な患者(?)、病院の1日

さて、手術後1ヵ月はせん妄に苦しみながら、食べることと向き合う。そう、とにかく“食べること”。口からね。それが上手くいくようになれば退院は目の前となる。

オイラは食べること、そして、昼間は院内を徹底的に歩きまわることにした。1日3食。それ以外は散歩&我流ストレッチ。きちんとやるだけで病院の1日なんて終わってしまう。

血圧測ったり、お薬飲んだりね。オイラ、いろいろやろうとお仕事道具を持ち込んだんだりしたのだけれど、何ひとつできなかった。1日1本は映画を観よう、って決めてたのに。設置されてるテレビすら観なかった。

あ、でも『シャイニング』を観たな(笑)。ジャック・ニコルソン主演のね。入院中の病院で真夜中から朝の時間帯に観る『シャイニング』は格別だった。アハハハハ。

REDRUM……

う〜〜〜ん、何をしてたんだろう? なんて思うものの、必死になって生きてた。あとは、『セブンイレブン』での買い物。オイラ、nanacoカードまで作っちゃった。ちょっとしたものだよ。ノートとか鉛筆とか。ティッシュとかね。それでも買うとスッキリした。消費、お金を使うって大事。

とにかく、担当医に食べていることをアピールする。最初は鼻から栄養剤を胃に流し込むだけだった。でも、プリンだったり、ゼリーだったりで自分はこんなに飲み込みが達者ですよ、とプレゼンする。

毎週火曜日が“飲み込み判定日”だった。ここが勝負! ドクター10人くらいに囲まれてゴックンをする。オイラは異様に早かったらしくすぐにOKが出て3食、しっかりと定食をいただけることになった。ありがてー。

朝昼晩のゴハンが栄養剤から口から食べる固形物にメニュー変更。こうなったらあとは食べまくるだけだ。気づけば退院となっている。うん、そんなもん。これ、ホント。

ある日の病院お献立。

さすがに豚肉キムチ炒めは食べれなかった……

痩せていく……スティーブン・キング

癌<ガン>の死因は餓死。

このことを知ったときは驚いたけれど、妙に納得。そうなんだろうな、と。

食べれなくなって、体重が減り、ミイラのようになって死んでいく。だから、もう、オイラ、これはムリしてでも食べるしかない。

今回、自分にまつわる一連の癌<ガン>騒動で恐ろしいなと身に染みて感じたことがある。

オイラの癌<ガン>が発覚する前、体重は55kg前後だったと思う。それが癌<ガン>となり、体重をはかると52kgに。手術のために入院した日は51kg。一時退院の日は体重50kgといったところ。で、放射線治療までの2週間は自宅で過ごしたわけであるが、これがまずかった。

2週間で46kgまで落ちた。オイラ、人生で46kgなんて初のこと。でも、確かに何も食べていなかった。食べる気が起きずにただひたすら寝てた。で、放射線治療がスタートするとより食欲が落ちる。ここにきて体重が45kgを切ってしまった。死を意識する。

いや、マブで。44、43、42、41と体重は日に日に落ちる一方。体力もないから通院が厳しい。30kg台になったらオイラの人生終わりだな、と思った。急遽、鼻から管を入れて胃に直接、栄養を流し込む作戦に変更。体重30kg台は免れた。ぶっちゃけ危なかった。

口から食べてアナルから出す。これが人間の基本。そうそう、オイラ、便秘も2週間は続いてた。そりゃそうだよな。何も食べてないんだもん。

カレーは飲むお薬

銀座の駅から病院に行く途中に必ず前を通った。

オイラが行っても退屈なんだろうけど、人生で1回くらいは観に行ってみたい

これじゃいけない、と思った放射線治療の何日目かの帰り道、お昼。オイラは東京、銀座、歌舞伎座の横にある立ち食い蕎麦屋へ突入することを決意した。誰もが知ってる立ち食い蕎麦屋さん。

ざるのカレーセット、と決めていた。カレー……今のオイラにはかなりハードルが高い。そもそも、カレーって(笑)。ビフォア癌<ガン>オイラ、カレーを食べる習慣などなかった。好きか嫌いかだったら嫌い。得意、不得意だったら不得意。

なのに、カレーライス。いや、でも、今のオイラを助けてくれるのはカレーのような気がした。香辛料がポイント。ちなみに、放射線治療中は刺激物NGらしいけど(笑)。

結果……完食!

アハハハハ。スゲー。食べれたよ。1時間以上かかったけど。テーブル汚しちゃったし。

出たーーーーー。このカレーに助けられたんだよな。

約1ヵ月くらい口に食べ物を運ぶという行為から遠ざかってた。

あ、オイラ、食べれるんだ!? って自分の小さな未来への一歩に感動した

歴史ある歌舞伎座の横にある立ち食い蕎麦屋さんということでヘタなもん出せない、っていうのもあるのかもしれない。カレーも美味しかったけど、お蕎麦(ざる)も美味かった。

でも、ここのF蕎麦でいちばん美味しいのは水。セルフサービスのお水なんだけどね。これがバツグンに美味い。オイラ、大袈裟じゃなく20杯くらいは飲んだ。

まずゴハンをいく。で、次にカレーを入れる。口の中にはゴハンとカレー。それをコップの水で胃に流し込む。うん、食べてないのね。

飲んでる。

“カレーは飲み物”をストレートで実践。お店の人の目が気になるけど。カレーでお腹いっぱいになったオイラ。蕎麦は完食は難しかった。ネクスト・チェレンジ。

とりあえず、何でもいいからチャレンジ・メニュー。片っ端から道場破りであえなく激チンポ。『王将』、『バ〜ミヤン』はかなりの強敵で木端微塵にブッとばされた。

でも、みんなが食べてるものが食べたかった。病人だから病人食っていう考え方がオイラは好きじゃない。病人だってステーキ食べればいいんだ。バナナはもう古い。

再入院の前日にコンビニで買い漁った食べたいもの……

ほっとんど手をつけず眺めて過ごした

生きる……すべての基本は食べること

そうそう、オイラの癌<ガン>とのファイトを簡単に説明すると……

入院VOL1

手術

退院

入院VOL2

放射線治療

退院

通院

FINISH!

となる。VOL2の入院前夜に今夜は好きなモノを徹底的に食べるぞーーー! とコンビニに行き、食べたいと思うものをお財布気にせず買い物カゴの中に放り込んだ。

病院での入院生活は本当に退屈だったりする。

唯一、オイラがテンション上がったのはセブンでのショッピング(笑)。

nanacoカードを作って約3ヵ月の病院生活でとんでもない金額をセブンに投下!(苦笑)

部屋に戻り、そっか……と。

なるほど。オイラはこういうのが食べたいのか。ま、入院したって食べれるんだけどね。でも、病室だと自分の部屋みたいに大きな音でテレビを流しながら飲み込んだり、吐き出したりしつつ、大騒ぎして食事を取ることはできない。

やっぱね、ゴハンは自由に食べたいもんだ。「今日はどれくらい食べられましたか〜〜〜?」とか毎回、毎回、ノート片手に聞かれたくない。ま、看護師さんも仕事だからね。

それに対して「どれくらい食べたかって、数字で答えるのは難しいです」ってオイラも意地悪だよな。でも、パーセンテージで返答するのは難しい。「美味しく、すべていただきました」って答えられればいちばんなんだけどね。むーーーーーん。

さて、2度目の入院にてオイラはこの“食”で命にかかわる大変な思いをまたすることになる。それはまた次回の講釈にて。

はあ、生きるって大変な変態。

病院までは銀座の駅から歩いて通った。元気だったら15分くらいで着いたはずだけど、

倍以上の30分はかけてゆっくりと歩いて……何度も行き倒れに(笑)

© 有限会社ルーフトップ