交通安全願い不動明王像制作 亡き息子を供養「事故ゼロの新年に」

 人生を懸けて磨いてきた腕で、亡き息子の供養を。長崎県松浦市志佐町の大工、岩本保さん(86)は47歳の時、次男義光さん(当時19歳)を交通事故で失った。高齢者の事故やあおり運転などのニュースが目立つ昨今。大工の集大成として厄難除災の不動明王像を制作した。岩本さんは「命を落とす事故が限りなくゼロに近づく新年になれば」と話す。

 岩本さんは佐賀県肥前町(現唐津市)出身。国民学校高等科を卒業後、祖母の生まれ故郷である松浦市星鹿町で大工見習いを始めた。当時14歳。終戦から間もなく職業の選択肢が少ない時代。ものづくりへの興味から職人の道を志した。

 19歳の時、1人での初仕事として母の妹の家の建設を手掛けた。「家は、家族の生活を守る城」。一心に仕事に向き合うことを信条に働き、家を造る喜びを実感する日々を送った。

 25歳で知人の女性と結婚。4人の子どもを授かった。義光さんは28歳の時に生まれた2人目の子。いつも頼りになる存在で、岩本さんが独立して設立した岩本建設で一緒に働いた。だがそんな大切な息子との時間は、突然終わりを迎えた。

 1979年10月7日。日をまたいだばかりの午前0時すぎ、電話が鳴った。平戸市田平町の片側1車線の国道で、義光さんの車が中央線をはみ出し、対向車線のマイクロバスと衝突。電話は江迎町内の病院からで、義光さんは意識不明の重体だった。「まだ若い。死んではいけない」。駆けつけた病院で呼び掛けたが、夜明けを迎えることなく亡くなった。

 義光さんは免許を取って約半年。車に同乗していた友人の話で、後続車にあおられ、スピードが出ていたことが分かった。悔しさ、喪失感。命日の供養を重ねるたび、悪夢を忘れようと仕事に没頭した。そして、息子の死は胸の内にしまってきた。

 転機は80歳を過ぎた頃。体力の衰えを感じる中で大工の集大成を考え始めた。「義光の経験を後世に生かそう」。交通安全を祈願する不動明王像の制作を決めて大工としての力を注ぎ込み、約半年で完成させた。

 昨年12月上旬、自宅駐車場に設置した不動明王像に、近くの寺の住職が魂入れ。交通量の多い国道を、像はずっと見守っている。

 ほんの少しの焦りや気の緩みで死期を早めることがある交通事故。「一人でも多くの人がそれを心に留めることにつながれば、息子も浮かばれるはず」。岩本さんはそんな願いを込め、不動明王像に毎日手を合わせている。

制作した不動明王像(中央)と観音像(右)の前で「命を落とすような事故が限りなくゼロに近づけば」と語る岩本さん=長崎県松浦市志佐町

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