エンタメ融合戦略で普及・育成図る 太田雄貴杯、節目の10回目

小学生の男女王者と記念撮影に収まる太田雄貴会長と日本代表の選手

 2020年東京五輪の開幕まで約1年半。新時代を迎えたスポーツ界で、フェンシングの08年北京、12年ロンドン両五輪銀メダリストで日本協会会長を務める太田雄貴氏(33)が「スポーツとエンターテインメントの融合」を掲げ、次々と大胆な改革に着手している。現役時代に普及や育成を目的に発案してプロデュースした小学3~6年生対象の「太田雄貴杯」は6日に節目の第10回大会を迎え、今や卒業生が日本代表の主力に成長。自ら剣を持って小学生の挑戦を受けて立つエンタメ要素も加えた演出で大いに会場を盛り上げた。 (共同通信=田村崇仁)

 ▽空中戦と地上戦

 100年を超える歴史と伝統を持つ国際フェンシング連盟の副会長にも日本人で初めて就任し、世界を飛び回る太田会長は自らの取り組みを「空中戦と地上戦」と表現して推進する。メディア戦略や斬新な大会演出など幅広いPRを通して人々を引きつける「空中戦」と、直接交流する仕掛けで競技会場へ足を運んでもらう「地上戦」だ。

 普段のスーツ姿からユニホームに着替え、太田会長がクライマックスで会場に現れると、小学生たちの目がひときわ輝いた。「太田雄貴杯」の男子フルーレの個人戦で優勝した小学6年の千葉忠輝君(12)=青山クラブ=と対決する「チャレンジマッチ」の実現だ。公開の場で試合をしたのは現役最後の舞台となった16年リオデジャネイロ五輪以来という太田会長は「大人の厳しさを見せる」との意欲も空回りし、4―5で惜敗。「悔しいけど強かった。参りました」と苦笑いで脱帽したが「下の世代が育っているのは本当にうれしい」と手応えも感じたようだ。「新しい会長モデルを作りたい。会長は会長席から降りて来ないのじゃなくて、地べたにも行く。空中戦もやるし、小学生と大はしゃぎする地上戦も両方やる。これをやり続けることが結果的に競技人口拡大に近づいていく」と狙いを説明した。

男子の小学生王者、千葉忠輝君と対決した太田雄貴会長

 ▽卒業生は東京五輪へ

 17年世界選手権で銀メダルを獲得し、東京五輪のエース候補となる西藤俊哉(法政大)は09年の第1回大会で3位になった「卒業生」の1人。今では日本代表として即席サイン会やトークセッションで小学生と交流し「この10年を思うと本当に感慨深い。この大会が自分の原点にあり、憧れ続ける太田先輩に今も背中を押されている」と感謝の言葉を述べた。当時の大会で優勝した鈴村健太や敷根崇裕(ともに法政大)らも日本代表。まさに「登竜門」といえる大会だ。

 昨年12月には全日本選手権決勝をジャニーズの劇場、東京グローブ座(新宿区)で初めて開催し、異例の高額チケットも完売させた。DJが軽快な音楽を奏で、色鮮やかな照明や大型スクリーンに選手の心拍数まで表示される時代にマッチした演出で関心を呼んだが、自ら試行錯誤してきた「太田雄貴杯」で培った経験も生きているという。

 太田会長は底辺拡大へ協会登録者を10年で現在の約6千人から5万人に増やす目標を掲げる。今大会は約90人が参加。10年で約900人がこの大会を巣立った計算になる。実は昨年で終えることも頭をよぎったそうだが「社会的な意義が大きいし、MCを入れたり、フェスティバル的な要素もあったりしてやめないでくださいという声が多かった」と支援企業を見つけて開催にこぎつけた。

 1人何役もこなし、寝る間もない忙しさ。それでも走り続ける。「小学生大会の割にはエンタメっぽいでしょ。お金をどれだけかけずに盛り上げを演出できるかがコンセプト。こういう大会も手を抜かない。中途半端だと愚痴が出るので、一生懸命やって知恵を出したい。やれる間は頑張りたい」と次回以降の開催にも意欲を見せた。

第10回太田雄貴杯の大会ポスター

太田 雄貴(おおた・ゆうき) 京都・平安高(現龍谷大平安高)で高校総体個人3連覇。男子フルーレで08年北京の個人、12年ロンドンの団体と五輪2大会連続銀メダル。15年の世界選手権個人で全種目を通じて日本勢初の金メダルを獲得した。16年のリオデジャネイロ五輪を最後に現役引退。東京の五輪開催が決まった13年の国際オリンピック委員会総会で最終プレゼンテーションに登壇した。同志社大出。滋賀県出身。

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