<レスリング>【特集】名もなきレスラーが全日本選手権を制した…男子グレコローマン77㎏級・小路直頌(自衛隊)

(文=布施鋼治、撮影=矢吹建夫/全日本選手権・試合日での取材による記事です)

決勝で勝ち、雄叫びをあげる小路直頌(自衛隊)

 名もなきレスラーが全日本選手権のオリンピック階級を制した。男子グレコローマン77㎏級の小路直頌(自衛隊)。実績といえば、2014年の全国社会人オープン選手権で優勝したのみ。全日本社会人選手権での優勝もない。小路は「高校時代(福岡・東鷹高)も九州で勝ち抜くことができなかった」と打ち明ける。「全グレ(全国高校生グレコローマン選手権)もベスト8程度でした」

 男ばかりの5人兄弟の4男。地元では知られた武道一家で、長男は剣道、次男から下は柔道に打ち込み、小路も幼稚園の時から柔道衣に袖を通した。「兄貴たちは県や九州でも名の通った選手でした。対照的に自分は中学生の時には地区大会すら勝ち抜けず、県大会に出場することができなかった」

 柔道に限界を感じた小路に「レスリングをやってみないか」と声をかけてくれたのは東鷹高レスリング部の中野智之監督。しかし、レスリングでもなかなか芽が出なかった。高校卒業後、自衛隊体育学校に進んでレスリングを続けたのは、自分の限界を確かめるためだった。

 「試合経験が足りなかったこともあります。試合の作り方がわからないというか、試合の途中から焦ってしまう自分がいた」

自衛隊同期の角雅人は早々と国際舞台で進出

 自衛隊の同期には、87kg級で活躍する角雅人がいた。小路とは対照的に、角は自衛隊に入隊してすぐ頭角を現し、国際大会でも活躍するようになる。同じ九州出身(佐賀県)の角の活躍はまぶしく映る一方、焦りを芽生えさせた。

決勝で一本背負いを決めた小路

 「練習では勝てるのに、試合になったら勝てない」。“練習チャンピオン”とまではいかなかったが、実戦になると弱い自分が嫌で仕方なかった。「技術面や体力面は、歯を食いしばりながらついていけたと思います。ただ、メンダルだけがついていけず、結果もついてこなかった」

 そうした矢先、前十字じん帯を断裂。2016年7月と2017年2月、2度に渡って手術を余儀なくされた。長期離脱。腐らなかったといったら、うそになる。そういう時には角の活躍がいい刺激になったと振り返る。「自分も練習通りの力を出せれば、もう少し上にいけるんじゃないかと信じていました」

 では今回、なぜ小路は勝ち抜けたのか。それは自分に「あとひとつ」と言い聞かせながら、目の前の試合だけに集中して闘うことができたからにほかならない。「先のことまで考えて失敗してしまうことが多かったですから」

オリンピックという「夢」が、「目標」に変わった日本一

 今大会、最も大きなヤマは過去に80・82kg級で計3度も世界選手権に出場している前田祐也(鳥取・鳥取中央育英高職)との準決勝だった。「前田選手は階級が上だったので、自分よりパワーもあった。正直、きつい相手だったけど、最後は根性で勝ちにいきました。前田選手に勝ったことは大きな自信になりました」

誇らしい表情で優勝インタビューを受ける小路

 決勝は、準決勝で第1シードの屋比久翔平(ALSOK)を撃破して勝ち抜いてきた櫻庭功大(拓大)が相手。試合の直前、小路は心の中で唱えた。「ここまで来たら行くしかない。あとひとつ」。決勝点となったのは、第1ピリオドに仕掛けた得意技の一本背負いだった。「相手がこう来たらこの技で、という感じで、練習していた技でした」

 これまでの苦労が報われた感があるが、小路に浮ついたところは感じられない。逆に気持ちをいっそう引き締めているようにも見えた。「自分はまだスタートに立ったばかりの未熟者ですから。ただ、この優勝で、オリンピックという夢を目標に変えられたと思います」

 試合前のウォーミングアップは、前日87㎏級で大会2連覇を達成した角が付き合ってくれた。試合後は、仲良く勝利の美酒に酔えたか。

© 公益財団法人日本レスリング協会