学業不振から一念発起 米国に広めるカラオケの興 Healsonic Group 代表 / Karaoke Champ Inc. 社長 木田マイク

実家を継ぐのか−。迷いながらも学業成就、出世の道を駆け上ってきた。「毎日みんなが笑っていられる」を理想とするカラオケチャンプの木田マイク社長(50)は、顧客と従業員の幸せを願いつつ、出店計画を練る。

木田さんは富山県で美容院を営む一家の4人きょうだいの長男。「自分は美容師に合っているのか」と葛藤を抱いた高校時代、勉強に身が入らず、成績は学年130位ほどで最下位に近かった。「今は美容師も大学を出る時代なのに」と両親も諦め気味。一念発起したのは部活引退後の3年の夏。恋人にふられた折でもあり、受験勉強に打ち込むと、成績は10位台に急上昇、周囲を驚かせた。「人の評価は頑張り次第ですぐに変わる」とさとった。

京都の大学に進み、1人暮らしを始めた。全国から集まった学友と夜な夜な語り合い、3年の時に東南アジアやヨーロッパなど世界中を旅した。視野が広がり、実家を継ぐより「海外で活躍したい」気持ちが強まっていった。

新卒でリクルートに就職、遮二無二働き、担当部門で成績トップに。それを節目に「仕事の基礎を教わった。感謝しかない」会社に別れを告げ、1994年、米国へ渡った。

学生ビザによる渡米で、当初起業する気はなかった。カラオケ店オーナーとの偶然の出会いが転機となった。2時間ほど話し込んで経営の面白さを聞くうち、思いが募って起業を決意。休学し、なけなしの約30万円を元手に95年、カラオケ機材のレンタルから実業家の道を歩み出した。滑り出しは良かった。見込み違いは米国人客が少なかったこと。「パーティー好きな国民性だ。潜在需要はあるはず」とにらみ、他社に先んじて新曲を充実させ、曲数を約3倍に増やすことで「需要を顕在化させた」。シアトルやラスベガスにも展開し、市場を開拓してきた。

木田マイク(きだ・まいく)■富山県高岡市出身。同志社大卒業後、1990年リクルート入社。94年に来米、95年ジョンマンUSA(現カラオケチャンプ)創業。「ヒールソニック」ブランドのカラオケ機材レンタル・販売のほか、クイーンズ区アストリアにある直営店「Karaoke Shout」など11店を展開。近くロサンゼルスに新店をオープン。クイーンズ区在住。

2001年の同時多発テロ後の自粛ムードなど危機は何度もあった。特にリーマン・ショック後は客足が遠のき、社運をかけた大規模直営店の融資も契約直前に破談。経営が悪化したが、従業員の雇用は守りたいと、「気が休まる時はなかった」。誰よりも働き、ピンチをしのいだ。

何とか資金を集め直し、09年に念願の直営店「カラオケシャウト」を構えた。「ここに来ると楽しんでくれている人の姿が見える。『俺、ええ仕事してるやん』と再認識できる」と自身の憩いの場にもなった。

趣味は家族と出掛ける旅行。理想は1年のうち米国、日本、それ以外でそれぞれ3分の1つずつ、旅するように暮らすこと。年2回は実家に帰省する。後を継がなかった実家の美容院の将来を気にかけ、少し寂しげな木田さん。経営者となり、親の気持ちが分かるようになった。歌うことが人々の癒やしにつながると信じ、家族のような温かい職場をつくっていくのが信条だ。

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