萬平さんも屈した 「人質司法」が変わらぬわけ 勾留理由開示(下)

By 佐々木央

 

カルロス・ゴーン日産前会長の勾留理由開示手続き後、記者会見する大鶴基成弁護士(右)=8日午後、東京・丸の内の日本外国特派員協会

「よんぱち・にーよん・とーか・とーか」。カルロス・ゴーン日産前会長の勾留理由開示の報道で、30年以上前の入社直後に覚えた“呪文”を思い出した。それと一緒に暗記したのは「巡査」から始まり「警視総監」で終わる警察官の階級だった。

 報道機関に入社した新人記者の多くは、まず警察を担当する。いわゆる「サツ回り」だ。「よんぱち・にーよん・とーか・とーか」は、被疑者が警察に逮捕された場合の警察・検察の“持ち時間”である。

 警察は逮捕から48時間以内に被疑者の身柄を検察庁に送り、検察官は24時間以内に裁判所に勾留請求し、勾留は10日間ずつ2回認められる。それぞれの節目で起訴されたり、釈放されたりすることがあり得るので、取材の必須ポイントとなる。

 記者生活がサツ回りから始まること自体を「権力寄りの姿勢や発想になじんでしまう」などと批判する人も多い。だが、サツ回りが権力監視の姿勢や権力との距離感を学ぶ場だとしたら、初歩の段階で警察を担当する利益はむしろ大きいはずだ。最も直接的に人権を抑圧することのできる機関だから。

 そのように抗弁するためには、人権を奪うことの重大性と、人権を保障するシステムの大切さを知ることが前提となる。警察や検察の持ち時間も、捜査当局の仕事を制限しているのでなく、被疑者の人権を守る仕組みとして理解されるべきなのだ。

 ところが、なかなかそうはならない。それはメディア組織が総じて、少数者・弱者に目を向けず、その実情に迫る姿勢に乏しかったことに起因する。苦い自省を込めてそう思う。事件における少数者・弱者とは、異論があるかもしれないが、被害者と加害者(または被疑者・被告・受刑者)である。もちろん両者の親族も含まれる。

 身柄を長期にわたって拘束する日本の「人質司法」が変わらないのも、人権に対して鋭敏でないメディアのありようが大きな要因なのではないか。

 被疑者の実情とはどのようなものか。逮捕されると連日、厳しい取り調べを受ける。取り調べのない時間も、24時間の監視下に置かれる。それもつらいが、日常の人間関係や社会的な関係から切り離されることはもっと過酷かもしれない。

 外部との通信や交流は遮断、または制限される。接見禁止処分が付けば、家族とも面会できない。ゴーン前会長は1月9日に高熱を発した。心配する妻キャロルさんは「(最初の逮捕日から)彼と連絡を取ることを許されていないので、私の情報は報道だけに限られている。日本の当局は彼が診療所に運ばれたのか教えてくれないし、拘置所の医療関係者と話させてもくれないだろう」という声明を出した。

 自分の身にそんなことが起こったら、とても耐えられそうにない。早く出してもらえるなら、何でも認めてしまいそうだ。それより先に心身に異常を来すかもしれない。実際そういう人が少なくないので、精神医学には「拘禁反応」という診断名もある。

 こうした強制捜査は制限的であるべきだというのが法の精神だ。本来、捜査は「任意」が原則なのだ。だから逮捕や勾留については、法律で要件や手続きが厳密に定められている。だが、身柄の拘束が長期化するケースは後を絶たない。最近では学校法人「森友学園」の前理事長、籠池泰典被告と妻諄子被告の299日という例もあった。

 NHKの連続テレビ小説「まんぷく」の年末最後の回では、萬平さんがこの「人質司法」に屈した。国を相手にした訴訟(正当性は萬平さんの側にある)を取り下げたら釈放してやるという取引に応じたのだ。ふくちゃんの説得によって。

 専門家の中には、これは人質司法ではないと言う人もいるかもしれない。人質司法はふつう、被疑者の身柄を長期拘束することによって、捜査当局が自らの主張・立証に有利な供述を引き出すことを指す。最悪の結果は虚偽自白による冤罪である。

 「まんぷく」のケースは、取り調べ段階ではなく服役中であること、取引の内容が供述ではなく訴訟の取り下げであることなどが、上記の説明とは異なる。だが、人質司法は法律用語と違って厳密な定義があるではない。身柄を拘束することで、当局側が被疑者・被告人・受刑者らと有利な取引をする。広義ではそうとらえていいだろう。

 さて「まんぷく」のこの回を見たみなさんはどう感じただろう。

 正義を貫くべきなのに屈服したのは不満だと思う人、自由の回復を最優先するふくちゃんの説得にうなずく人、あるいはこのような理不尽な取引を強要する権力側に憤る人…。

 だが、さして怒りも覚えず、ドラマの一場面として通り過ぎてしまったとしたら、それこそ人質司法を許してしまうことにつながっているかもしれない。(47NEWS編集部、佐々木央)

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