母はフィリピン人、ルーツ恨んだ男性 民族名選び分断社会に異議

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忘年会でユニオンの組合員と談笑するラボルテ雅樹さん(京都市南区)

 忘年会の夜。京都市南区東九条にある労働組合「ユニオンぼちぼち」の事務所に10人余りが集った。「争議が終わって、ようやく落ち着けた」「会社に言いたいことが言えた」。鍋を囲む輪の中に、昨年10月から執行委員長を務めるラボルテ雅樹さん(27)=大阪市東淀川区=の姿があった。

 「ラボルテ」はフィリピン人の母(48)の民族名。ユニオンに加盟する非正規労働者らを支援する傍ら、相談員として働く京都市内のNPO法人や籍を置く放送大学など社会生活のほぼ全てで、この名前を使う。

 かつて、ラボルテさんは自らのルーツを恨んだ。

 母は故郷のセブ島で困窮し、1989年に興行ビザで来日した。スナックで働き、客の日本人と結婚。ラボルテさんを生んだ。2度離婚した後、弟(14)を妊娠したが、相手の男性は認知せず、母国での出産を迫った。中学生だったラボルテさんは数カ月間、日本に残された。男性から満足な生活費は与えられず、洗濯機の隙間に落ちた小銭を拾い、空腹をしのいだ。疲れてやつれた自分の姿を見るのが嫌で、中学の卒業アルバムは受け取らなかった。

 認知請求訴訟を経て日本国籍を得た弟は7歳になって来日できたが、中学2年の今も日本語教室に通う。現在、高齢者施設で働く母は「子どもと仕事と、とにかく生きていくだけだった」と気丈に振り返る。そう話す母を前にして、ラボルテさんの目が赤くなった。母子で歩んだ苦労が、脳裏にこびりついている。「何で僕は生まれてきたんやって思ってたで」

 転機は高校3年。進路指導の担当講師がユニオンの組合員だった。リーマンショック後の派遣切りや外国人参政権を題材にした授業では、ラボルテさんの境遇にも話が広がった。社会の矛盾を、家族だけで引き受けてきたと気づいた。

 「日本から出て行け」。2010年3月、ユニオンの事務所がある東九条にヘイトスピーチが響いた。在日コリアンが多く暮らすまち。ラボルテさんは、一団の来訪が予告された地元の高齢者施設に詰めた。「母や自分が攻撃されたらどうしよう」。内心は、逃げ出したくなった。

 世に潜む排外主義を突きつけられる一方、民族名を自ら選び取って生きる人が東九条にいると知った。性的少数者が感じる、与えられた名前への葛藤にも触れた。「自分自身の名前として、母の名前を使う」。20歳を前に周囲へ告げた。

 「ひとりじゃないと思った」。元介護ヘルパーのフィリピン人女性(53)は、3年前の団体交渉を振り返る。低いままの給与に不安を感じてユニオンに助けを求めた。ラボルテさんも加わった交渉で、会社側が社会保険への加入を怠っていたことが判明した。20代で来日した女性は漢字の理解が不十分だったが、就労条件に関して母語での説明はなかった。今、ホテルの清掃に職を変え、一人娘を養う。いずれ、通訳としてユニオンに協力したいと考えているという。

 国会で改正入管難民法が成立した1週間後の昨年12月15日。在日外国人の未来をテーマにした京都市内の集会に、ラボルテさんは招かれた。「日本人と外国人が分断された社会にならないか。それはだめだと、小さな声でも伝えていく」。共にしんどさを抱える人間として、支え合いたい-。そんな思いを込め、聴衆へ語り掛けた。       

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 2019年が幕を開けた。今年は改元で新しい時代を迎える。急速に進む少子高齢化や国際化、情報技術革命。ポスト平成の世の中は、どのような風景が広がるのか。旧来の価値観が大きく揺らぐ中、多彩な生き方を追い求める人々を訪ねた。