「彼が狂ってくれて、幸せだった」。略奪愛を確信した女が知ってしまった、愛する男の嘘

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人のものを奪ってはいけない。誰かを傷つけてはいけない。

そんなことは、もちろんわかっている。

しかし惹かれ合ってしまったら、愛してしまったら、もう後戻りなんてできない−。

渋谷のWEBメディアで働く三好明日香(24歳)は、彼氏がいながらも上司・大谷亮(おおたに・りょう)に次第に心惹かれていく。

出張先のホテルで突然キスされ、止められない思いに気づく明日香。

大谷が結婚していることを知り距離を置こうとするものの、結局一線を超えてしまった二人は、略奪愛を覚悟するのだった。

ストーカー化した元彼・昭人から逃げるように、二人は一緒に暮らし始める。

明日香の同僚・冴木奈々:「1番タチが悪いのは、純情ぶってる女」

三好明日香がどんな女かって?

うーん…100人いれば99人が「いい子だ」って言うんじゃないかしら。

適度に華のある見た目に、程よく流行を取り入れた清楚なファッション。愛嬌もあって、いつも笑顔で。

だけど私は最初に見た時から、どうも気に入らなかった。どこがと言われると難しくって、女の勘としか答えられないけれど。

強いて言えばあの目、かな。彼女の大きな瞳には、女の私でも一瞬どきっとしてしまう妖艶さがある。

だからあの二人…大谷さんと三好明日香が社内で熱っぽい視線を交わしていることに気が付いた時も、「あの女ならありえる」って思った。

…実は私、大谷さんに奥さんがいること随分前から知ってたの。あまり知られたくなさそうだったから黙っていてあげたけど。

彼って社長が大企業から引っ張って来たのよね。根っからベンチャー気質の他の男にはないスマートさやエリート感が新鮮で。でも、他の女に取られる前にと思ってソッコーでアプローチしたら、あっさり断られた。「僕は結婚してる」って。

それなのに、大谷さんも悪趣味だわ。

私が何度誘ってものらりくらりとかわすクセに、三好明日香みたいに見るからに遊んでなさそうな…よく言えば純粋、悪く言えば重い女を不倫の恋の相手に選ぶなんて。

ああいう純情ぶってる女ほどタチが悪いってこと、大谷さんくらい女扱いに慣れていれば気づきそうなものなのに。

それともまさか…本気だなんてバカなこと、言わないわよね?

冴木奈々は、大谷と明日香が不倫であることを知っていた。二人は新居で一緒に暮らし始めるが…

明日香:「彼が狂ってくれて、幸せだった」

「俺と、一緒に暮らそう」

まさか…大谷からそんなことを言ってもらえるなんて、夢にも思っていなかった。

しかし彼は言葉どおり、すぐさま目黒で即入居が可能な2LDKのマンションを契約。またあの夜のようなことがあっては困るからと急かされ、私と大谷はバタバタと引越しを完了させたのだった。

−こんなことをして大丈夫なのだろうか。

私の脳裏に、その疑問が浮かばなかったわけではない。

離婚するつもりがあるとは言っても、正式な手続きが終わる前に別の女性と一緒に暮らすなんて、もし奥さんにバレたらどうするつもりなのか。

そもそも、新居の入居費用や家賃はどうしているのだろう。心配になり大谷にそれとなく聞いてみたが、彼は「大丈夫だから」と言葉を濁すだけ。そのため私は、断片的に知らされる情報から推測するほかなかった。

大谷が暮らしていたマンションは、宝石商を営む奥さんの実家所有であるらしい。また、もともと資産がある上、家業を継いでジュエリーデザイナーとして活躍する奥さん自身にも十分な経済力があるため、結婚当初からお財布は別々にしているということだった。

つまり大谷には、自由になるお金がある。そしてその使い道を奥さんが感知する術はない、ということだった。

だがたとえそうだとしても、大谷との同棲生活が正当化されるわけじゃない。そのことを重々承知していながら、しかし私も大谷も過ちに黙って蓋をしていた。

包み隠さず本音を言ってしまうと…不安や罪悪感に苛まれはしながらも、私はそれ以上に幸せだったのだ。

彼は、奥さんより私を選んでくれた。そのことが嬉しくてたまらなかった。

冷静沈着で、いつだって迅速的確に判断を下す大谷が、リスクを冒してでも私のそばにいたいと思ってくれた。他の誰でもない、私への愛欲に狂ってくれた。

その事実こそ、彼の中で私が1番になった証明に違いないから。

「明日香、本当に愛してる」
「明日香がそばにいてくれれば、他に何もいらない」

一緒に暮らすようになってから、彼は毎晩のようにそんな言葉を口にした。

「私も…私も、大谷さんさえいてくれればいい」

全てを失ってもいい。覚悟を決めてくれた大谷を、私も自分のすべてで受け止める。絶対に離すまいとするように私たちは狂おしくお互いを求め、そしてピタリと寄り添って眠った。

私たちの間には一寸の隙間もなかったし、彼の言葉に嘘など1ミリも含まれていなかったと思う。

しかしこの時の私は、まだ何もわかっていなかったのだ。

結婚というものは、“愛”にも勝る絆なのだということを。

“正妻の座”を奪い取るのはそう簡単ではない。そのことを思い知る出来事が起こる

大谷の嘘

その電話を聞いてしまったのは、本当に偶然だった。

新卒採用がひと段落し業務が落ち着いている私とは違い、大谷は会食も多く、さらには社長から新たな要望を課されているようで相変わらず深夜帰宅が続いていた。

普段はどんなに遅くても起きて帰りを待つ私だったが、その夜はひどく疲れていて、珍しく眠気に負けてソファでうとうとしてしまっていたのだ。

「…もしもし」

大谷のくぐもった声が聞こえふと目を覚ましたのは、深夜1時を過ぎた頃だっただろうか。

横になったまま薄目を開けると、大谷が声を潜めたままリビングを出て行くのが見えた。

−…奥さんだ。

彼の様子で、すぐにピンときた。

別に、盗み聞きをするつもりなんてなかった。

しかし私を起こさぬようそっと扉を締め、寝室に消え行く彼の背中を眺めていたら…胸の奥が妙にざわついてしまったのだ。女の第六感、というやつかもしれない。

私は音を立てぬよう静かに起き上がると、忍び足で寝室の扉の前に立った。そして、そっと扉に耳を押し当てる。

「…ああ、特に何も変わりないよ。舞は?」
「年末の帰国はどうするの?もう決まった?…ああ、じゃあまた決めたら教えて。空港まで迎えに行くから」

「舞」と呼んだ大谷の声が、私の胸を深く突き刺す。痛みに耐えながら耳をすますと、続いて年末年始の一時帰国に関するやりとりが聞こえた。

大谷の妻が、日本に戻ってくる。

その日がいつか来ることは、もちろんわかってはいた。だがその事実はどうしようもなく私を不安にさせる。

そして…それよりももっと私の心をざわつかせたのは、大谷の妻に対する話し方だった。

彼の妻に対する声色は、どう聞いても離婚の話し合いをしている男女のものではなかった。仲睦まじいとは言わないまでも、何の問題もない夫婦の会話に聞こえた。

−奥さんは、何も知らないんだ…。

大谷は妻に、まだ何も話していない。

その事実に気がついて、私はガンと鈍器で殴られたように頭が真っ白になった。

次の瞬間、部屋の中から「じゃあ、気をつけて」という声に続いて、彼が電話を切る気配を感じて私は慌ててリビングへと戻る。

そしてたった今目覚めたという演技をしながら、彼を出迎えた。

「お帰りなさい…誰かと電話してた?」

そう聞いたのは、誠実に話してくれるかもしれないという期待があったからだ。…奥さんの帰国についても、これから先の私たちの未来についても。

しかし彼は間髪入れず、あっさりと私に嘘をついた。

「ああ、そう。社長から」

いくらなんでも、深夜1時に社長も電話を寄越さないだろう。

苦しい言い訳だと自分でも思ったのだろうか。彼は訝しむ私からさっと目を逸らすと「シャワー浴びてくる」と言い残し立ち去った。

−どういうつもりなの…?

私と大谷が普通の恋人同士だったら、彼に奥さんがいなければ、絶対に見て見ぬフリなどしない。嘘を暴き、彼の真意を問いただしていたと思う。

しかし今の私にはそれができない。

そんなことをして、大谷の心が自分から離れてしまっては元も子もないからだ。

たとえ他人に愛を奪われようが彼の奥さんには“正妻”という、法で守られた立場がある。結婚という契約を、大谷が一方的に反故にすることはできない。

しかし私と大谷を繋いでいるのは…目に見えない、形も無い、そしてほんの少しのダメージでもあっけなく壊れてしまうような、脆く儚い“愛”だけだから。

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大谷の妻が帰国する年末が、大谷と明日香にとってXデーとなる。