難病の夫、自宅でみとる 支えた妻、思いを本に 熊本市の元看護師

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難病の夫の在宅生活をつづった本を自費出版する島村明子さん=7日、熊本市

 熊本市西区河内町の元看護師、島村明子さん(68)は昨年1月、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の夫隆二さん(享年71)を自宅でみとった。最期まで「自分らしさ」を貫いた夫と二人三脚の闘病生活。その中で感じた在宅医療の厳しさ、素晴らしさを伝えようと、一周忌を機に思いをつづった本を自費出版する。

 「オレ、サイゴマデガンバルカラ、ココデミテクレ」

 在宅療養に入る直前の2017年9月。隆二さんは最後まで感覚があった足を動かして片仮名を一文字ずつ表現し、自分の思いを伝えた。それからわずか4カ月後に旅立った。

 隆二さんが、体の異変を感じ始めたのは13年秋。この時、同市の会社を早期退職し、地元の民生委員をしていた。ら行、ぱ行が発音しにくくなる構音障害が出始め、次第にむせたり、舌がぴくついたりするようになった。ただ体は元気そのもので、診断が付かなかった。

 高校時代は九州学院高野球部に所属し、甲子園に出場。社会人になってからも草野球を楽しみ、子どもたちを指導した。

 「病気一つしたことがなく、体力には自信があった」と明子さん。それだけに難病の診断を受けたショックは大きかった。

 ALSと分かったのは16年2月。舌や喉の筋力から衰える「球まひ」性だった。隆二さんは三日三晩落ち込んだが、4日目には「覚悟ができたような表情だった」という。すでに左手が動かしにくくなっていたが、その年の3月まで民生委員を務め上げた。

 ところが、その直後に起きた熊本地震が病気の進行を早めた。海が近く、津波への警戒から高台に避難。車中泊や長引く余震による心身へのストレスやダメージは大きかった。のみ込む機能が低下し、水も食べ物も取れなくなり、5月には胃ろうの手術を受けた。

 声もかすれてきた11月の眠れない夜、隆二さんは思うように動かない右手で、妻への手紙を書いた。「お礼もいわずにいってしまっていいもんかと考える。本当に、本当にありがとう」とあった。

 字が書けなくなったのは17年1月から9カ月間の入院生活中。人工呼吸器を望まない隆二さんは、事前に「付けないことで、家族を責めないように」「緩和ケアになっても、挿管しないように」と文書で残していた。「病気と正面から向き合い、家族を思ってくれていた」と明子さん。

 在宅療養の4カ月間は「いばらの道であり、最高の時間だった」という。トイレ、口内ケアなど、明子さんは昼夜問わず隆二さんを介護。最後の1~2週間は、ほとんど眠れなかった。買い物も子どもたちに頼み、外出もままならない日々。看護師の経験から大変さは知っているつもりだったが、「想像以上で、もう二度とできない。でも人生の価値は最後まで共有できた」と振り返る。

 明子さんは今後、難病患者と家族が集う「難病サロン」にも携わるつもりだ。「ALS 生きて生かされし道標[しるべ]」(私家版)の150冊は今月15日、隆二さんの一周忌の日に完成する。(文化生活部・林田賢一郎)