岩井志麻子×徳光正行×諸江亮 - 徳光正行 原作・脚本 映画『シラユキサマ』公開記念対談!!

志麻子、寝る前にオナニーする。

──映画化おめでとうございます! まずは『シラユキサマ』が映画化された経緯から教えてください。

徳光:もともと原作を書いてまして、映画化できないかなとは考えてて、そんな時にand picturesという会社の社長の伊藤主税さんに出会ったんです。なんとなく話してみたらその方がノッてくれて。原作を読んでいただいて、とっかかりやすい学園モノはいかがですか? と提案したら、それでいきましょう、と。脚本を書くのは初めてでしたが、and picturesにある他の脚本を見せていただき、見よう見まねで書きました。それで、以前こちらの会社でホラー映画を撮ったことがある諸江監督を紹介していただきました。監督の作品を拝見したら、大げさではない薄暗くて嫌な気分にさせるホラーを撮っていらしたので、ぜひ一緒にお仕事させてください、と。割とトントン拍子で進みましたね。オーディションにも参加させていただいたんですが、そもそも脚本家って俳優選びもやるんですか?

諸江:そうですね、やる場合もあります。

──映画『シラユキサマ』の簡単なあらすじを教えて下さい。

諸江:女子高生の仲良し三人組が、憧れの先輩と同じ学校に通いたいということで、学校裏の祠、通称・シラユキサマにおまじないのような形でお願いをしに行くんです。そこの祠には仕掛けがあって、水を垂らすとその軌道によって願いが叶うか叶わないか分かると。その結果、先輩と同じ学校には通えないと出るんです。ショックを受けていると、生徒から信頼の厚い教師が来て、そんなの迷信だ、と言って祠にあったおまじないの紙をビリビリに破いてしまうんです。その後、先生の奇行が目立つようになり、次第に周りがおかしくなっていき…。

岩井:というか、なんで今回女生徒役につかってくれなかったのよ?

徳光:いや、50代でセーラー服はちょっと…キチガイの趣旨が変わってきちゃう(笑)。とにかく、プロデューサーに脚本の段階で詰めに詰められるという。14回も書き直ししました。岩井さんに聞きたいんですけど、本を書く時ってこんなに書き直しするものですか?

岩井:そんな書き直したことないですよ。ちょっと手直しするぐらいで。

徳光:そうですよね。ただ、それで書きあがったものが良くなれば全然良いんです。岩井さんの前で話すのも大変僭越ですが、文章って行間を想像させる作業ですが、脚本は全部開けっぴろげに見せていかないとダメなんですね。行間から察しろというのが通用しない世界ですから。「志麻子、寝る前にオナニーをする」と言うのを事細かに説明しなきゃいけない(笑)。

岩井:私ね、悪口じゃないですけど、赤川次郎さんってどうしてあんなに売れるんだろうかって考えた時、これは脚本なんだなっていうことが分かったんですよ。「徳光、そこでオナニーをした。志麻子もした」みたいな。「さて、夜も更けたし、そろそろ指が動く頃だな…」みたいな書き方じゃダメで、脚本みたいにわかりやすく書くから売れるんだなって。行間を読ませるっていうのは、もう、今は小説としても売れないのかしらね。

徳光:行間を読ませるで言えば、岩井さんの作品を読むと、本当に嫌な気持ちになるんですよ、もちろん良い意味で。『黒い報告書』って岩井さんが週刊新潮で書いていますが、まぁ嫌な気持ちになりますよね。

岩井:ホラーって不思議なジャンルですよね。だって不愉快なものじゃないですか。なんで嫌な気持ちになるものをわざわざお金を出して見なきゃいけないのか。お金を払って「トリプルレッドカード」とか「鶯谷デッドボール」とか行くでしょ、わざわざ(笑)。

ただ毎晩オナニーしているおばさんじゃないんだ

岩井:自分の怖さのツボっていうのが、なにも悪いことしていないのに酷い目にあわされるっていう、これが嫌なんですよ。『シラユキサマ』も女の子たちはなにも悪いことや、どえらく欲深いことを祈ったわけじゃない。あんなの普通にどの女の子だって思うことですよね。普通に生きてて酷い目にあうっていうのは怖い。悪いことをして酷い目にあうなら自業自得だし、因果応報じゃ、天罰じゃ、っていう風にカタルシスがあるけど、普通に良い人が酷い目にあうっていうのは、これどうしたらいいだろって。

徳光:日常に、突拍子もない非日常が飛び込んできた時が一番恐怖だよね。

岩井:でも、神頼みって怖いと思う。どういう神様か分かんない、素性が分からん神様に祈っていいのか。邪教の神とかもいるわけだからね。ところで、シラユキサマは神道なの?

徳光:一応神様ですよね、祠ですから。

岩井:台湾って道教が盛んで、以前、祈ってはいけないことを祈る廟っていうのに行ったんですよ。雑居ビルの一室に、熱海秘宝館にあるようなエロい観音様やお狐様がずらりとあって、来ている人たちは水商売か風俗嬢かヤクザ。そこで、祈ってはいけないことを祈るんですよ。例えば、彼の奥さんが死にますようにとか、麻薬取引が成功しますようにとか。そこで恐ろしいのは、変な風に叶えてくれるわけ。例えば、彼の奥さんが死にますようにって祈ったら、彼の奥さんは死ぬけど本人のお母さんも死ぬとか、麻薬取引は成功するけど、警官に撃たれて足を失うとかね。莫大なお布施と引き換えに叶うんですよ。表の廟は正しいこと…学校に合格しますようにとか、いい人に巡り合えますようにとか、良いことを祈って良いように叶えてくれる。裏の廟は、悪いことを祈ったら、莫大なお布施と引き換えに叶えてくれる。じゃあ、表の廟で悪いことを祈ったらどうなるのか? それは神様に無視されるわけ。では逆に裏の廟で正しいことを祈ったらどうなるのだろう。それってまさに、シラユキサマじゃないですか。悪いところで、素敵な先輩ともっと仲良くなれますようにと、真っ当なお願いでしょ。だから、悪いところで真っ当なお願いをしたらどうなるか、という答えがこの映画にあるんですよね。実は、映画『シラユキサマ』って裏廟の話なんですよ。悪いところには悪いことを祈るべきですよ。

徳光:自分で書いたけど、全然そこまで考えてなかった。岩井さんの解釈って本当にすごい。ただ毎晩オナニーしているおばさんじゃないんだ(笑)。

中瀬ゆかりが5kg痩せても分からないのと一緒

徳光:シラユキサマ的には、人の家に土足で入って来て荒らしていくような奴らなんだから、シラユキサマ側から見たら無法者なわけですよね。

岩井:誰かが私のとこへ相談に来て、ちゃんと正しいこと言ったのに、いらんこと言う奴が、「あんなオナニーばっかりやってるババァの言うことなんか信じるな」とか言われたら、はあ〜? って思うよ私も。バチ当ててやろうかって。

徳光:ただ、頼んだ子に対してはそんなに危害を加えていない。結果、一番心が優しい子がおかしくなっちゃう。

岩井:高橋克彦さんっていうホラー作家の大御所の方に聞いたのが、映画『エクソシスト』で取り憑かれる子って、普通の良い子じゃないですか。別に悪いことするわけじゃないのに、たまたま取り憑かれちゃうんですよね。どうしてあんな無垢な少女に取り憑くのか? 例えばアメリカ大統領とかに取り憑いたら地球破滅に持っていけるぐらいの物凄いことができるのに、どうして悪魔は片田舎の少女に取り憑いたのか? って高橋先生に聞いたら、アメリカ大統領に取り憑いたって、取り憑いたかどうか分からない、と。中瀬ゆかりが5kg痩せても分からないのと一緒(笑)。

徳光:なるほど、豹変の度合いが分からない(笑)。

岩井:無垢な少女だからこそ、取り憑いたと激しく分かる。だから善良なところに悪魔は行くんだよって言うの。落差というかね。

諸江:僕らもどっかで善人が豹変するところを見たいんですよね。

首絞められたら絶対漏らすでしょ!

徳光:岩井さん、映画『シラユキサマ』を観て、率直にいかがでした?

岩井:とにかく女の子たちがみんな綺麗なのが良いと思いましたよ。あとは、血がリアル。それとあの祠が良い。わざとらしいおどろおどろしさがなく、素朴なんだけど、故になんか嫌。

徳光:あそこは岩井さんへのリスペクトが入っているんですよ。

岩井:アワビ?

徳光:そうそう、岩井さんと言えば貝(笑)。

岩井:でもあんな祠があっても、やっぱ迂闊に神頼みはできないな。そこはやっぱり、百姓の子なんですよ。百姓の間では、豊作は2年続かないって言うんです。私が東京に出て、わりと早く賞を貰ったり本が売れたりした時、うちの親は全然舞い上がらずに、「お前、分かっとるな、百姓に2年無し」と。豊作は絶対に続かない。それが染み付いているから、努力せずに大きなことを願うというのは、なんか大いなるものを畏れているんですよ。物凄いことを努力もせずにお願いして、それがもし叶えられたらなにを持っていかれるのか。そう思うから小さなことを願う。良いオカズが見つかりますようにとか、一回ぐらい増刷かかりますようにとか。一回増刷ぐらいなら毛ジラミが5匹増えるくらいで済むかなって(笑)。

徳光:そう考えると、この映画は代償ですよね。そうそう、全然関係ないですけどこだわったシーンがあって、首絞められておしっこ漏らすとこ。これは協議されたんですが、いやいや、首絞められたら絶対漏らすでしょ!

諸江:あれは、やって良かったですよね。

徳光:本当はうんこまで漏らしたかったんですが。

(Rooftop2019年1月号)

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