神奈川と平成 寿(上)高齢化率57%「都会の限界集落」

 横浜中華街に向かおうとした若い観光客が迷い込み、困惑した表情で周囲を見渡した。

 JR石川町駅から徒歩で約5分。横浜市中区の寿地区は、山下公園や元町といった観光地や横浜スタジアムにほど近く、横浜・みなとみらい21(MM21)地区も徒歩圏内だ。約300メートル四方に120軒もの簡易宿泊所(簡宿)が軒を連ねる。

 かつては、血気盛んな日雇い労働者の街。東京の「山谷地区」、大阪の「あいりん地区」と並び日本三大寄せ場と呼ばれていた。

 「寿は飲んだくれ、荒くれ者というイメージがあるでしょ。でもね」。寿地区で福祉関係の仕事に就いて半世紀になる工藤廣雄さん(73)は、こう言葉を継いだ。「『日雇い労働者の街』は、今や『福祉の街』へと様変わりした」

 寿地区の簡宿の宿泊者数は昨年11月時点で5728人となり、2年連続で6千人を割り込んだ。一方、65歳以上の高齢化率は57・5%で過去最高となり、「都会の限界集落」とも揶揄(やゆ)される。

 労働者の寄せ場として栄えたのは1960年代の高度経済成長期。横浜港の港湾荷役が盛んで、寿には8千人以上の港湾労働者らがいたとされる。70年代に入ってコンテナ化や荷役機械の導入が進むと港湾荷役の仕事が減り、日雇いの現場は土木建築に移行。オイルショックや円高不況を乗り越え、80年代からのバブル景気では次の仕事を探す労働者が集った。

 「まさに人種のるつぼ。インドやパキスタンから出稼ぎ労働で来ていたのだろう、ターバンを巻いた男性も歩いていた。40~50代の働き盛りの男たちでいっぱいだった」。当時大学生だった寿支援者交流会の高沢幸男さん(48)は、活気に満ちた寿の雰囲気を鮮明に覚えている。

 福祉の街への転換点となったのが、91年のバブル経済の崩壊だった。「平成」の時代に入って以降、高齢者が急速に増えた。

 「俺は頑張ったけど、寿に来ちゃった」。3畳一間の簡宿で暮らす70代の男性はバブル崩壊で配管工の職を失い、家族とも別れ、「気付いたら寿に流れていた」。

 「寿の高齢化はかつての日雇い労働者が年齢を重ねた結果ではない。むしろ、地元を離れて都会で働いてきたものの家族と疎遠になり、帰るべき古里がなくて流れ着くお年寄りが多い」。高沢さんが話す。

 2005年ごろからは介護保険事業所の参入が急増。デイサービスや訪問介護事業所、居宅介護支援事業所などが相次いで誕生し、高齢者向けの福祉サービスが充実してきた。一方、身体障害者の「ことぶき福祉作業所」やアルコール依存症者の回復施設「寿アルク」、精神障害者の地域作業所「ろばの家」など従来の施設・団体も存続しており、福祉の街の様相は深まっている。

 急務となっているのが、簡宿で暮らしながら自立した生活が困難になった高齢者への対応だ。

 「これからの寿は酒を飲めない、たばこさえ吸えない老人が増えてくる。年齢を重ねて身体が不自由となったり、認知症を患ったりした老人を一体どうしていくのか」。工藤さんにとっても、解を見いだせない難題となっている。

元日を迎えた寿地区。寒空の下を歩く高齢男性の姿があった=1日午前5時55分ごろ、横浜市中区

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