神経症治療法の創始者の足跡たどる 藤瀬・熊本大保健センター長ら出版

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「森田療法と熊本五高-森田正馬の足跡とその後-」(熊日出版、168㌻、1296円)。写真左は森田正馬、右は水谷啓二

 日本独自の神経症の治療法、「森田療法」が誕生して今年で100年。創始者の森田正馬[まさたけ](1874~1938年)は、実は旧制第五高等学校(熊本大)の出身です。熊本大保健センター長の藤瀬昇教授らは昨年末、森田や五高出身者の足跡をたどる『森田療法と熊本五高』を出版、貴重な記録となっています。(高本文明)

 ─出版に至った経緯は。

 「森田先生が五高出身という縁から、2017年11月に熊本大で第35回日本森田療法学会を開催し、私が学会長を務めました。これを機に、森田先生の足跡を広く知ってもらおうと、ゆかりの人物ら11人が執筆しました」

 ─どんな人物でしたか。

 「高知県に生まれ、土佐中学を経て1895(明治28)~98年にかけて五高・三部(医科)に在籍し、精神医学を志しました。東京帝国大学(東京大)医学部を卒業後、1919(大正8)年に森田療法を創始し、東京慈恵会医科大の初代精神科教授になりました」

 「個人の名前を冠した確たる精神科療法は他になく、森田先生は精神科医療のカリスマです。わが国でこれだけ長い間受け継がれている精神療法はありません。西洋の精神分析、東洋の森田療法と形容されることもあるほどです」

 ─森田療法の対象は。

 「主に不安がベースにある神経症性障害が対象です。強迫性障害やパニック障害、社交不安症などです。神経症は、本来どうしようもないことにすごくとらわれ、症状を悪化させてしまいます。そのメカニズムを患者さんに指摘しながら、不安を『あるがままに』受け入れてもらう。そうした発想の転換が治療の根底にあります。かつては入院治療でしたが、現在は外来で服薬も行います。メンタルヘルスにも活用されています」

 「森田先生は幼い頃、寺の地獄絵図を見て、恐怖におののき、神経症、パニック障害を抱えていました。五高時代は比較的落ち着いていましたが、東京帝大時代に再発。どんな症状でも耐えると覚悟して勉強したところ、発作は起きず、あるがままに受け入れる姿勢の大切さを悟り、森田療法の生み出すきっかけになりました」

 ─どんな医療機関が採用していますか。

 「森田療法センターを設置している東京慈恵医大や静岡県の三島森田病院、浜松医科大病院などです。熊本に受診できる医療機関はありませんが、協力医がいます」

 「森田療法の最大の特徴は、当事者の自助グループである『NPO法人・生活の発見会』が、熊本を含む全国組織として展開されていることです。その成り立ちには、共同通信社の記者だった水谷啓二をはじめ、社会教育者の田澤義鋪、下村湖人、永杉喜輔といった五高出身者が中心的な役割を果たしていました」

 「特に尽力したのが、八代市生まれで五高から東京帝大に進んだ水谷氏(1912~70年)です。重度の神経症に悩み、森田先生に巡り合って完治した経験から、56年に自宅を開放して合宿のような形で患者さんが集う場を提供したのです。これが『生活の発見会』の母体となりました」

 「水谷氏の長女、比嘉千賀さんは、さいたま市の精神科クリニック院長です。京都森田療法研究所主宰で精神科医の岡本重慶さんと私の3人が今回共同編者を務めました。資料を調べていく中で、森田先生が住んでいた下宿が薬園町にあったと特定できました」

 ─五高の英語教師だった夏目漱石との接点はありましたか。

 「漱石は森田先生の入学から半年後に赴任し、同郷で後輩の寺田寅彦も1年後に入学しました。残念ながら森田先生と漱石との交流の記録は見つかっていませんが、3人が一緒に黒髪の地で過ごしていたと思うと、感慨深いものがあります。興味を持たれた方は、ぜひ本をご覧いただければ幸いです」

◇ふじせ・のぼる 佐賀県出身、熊本大大学院医学研究科修了。2016年から熊本大保健センター教授、17年から現職。精神保健指定医、熊本大病院非常勤診療医師。日本精神神経学会専門医、代議員。日本老年精神医学会専門医。54歳。

(2019年1月16日付 熊本日日新聞朝刊掲載)