【平成の地方自治 2019統一選】<2>災害への備え 住民の避難どう促す

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 2010年7月16日夕、庄原市川北町重行、西城町大戸、川西町川西の3地区を中心に2時間ほどの「ゲリラ豪雨」が襲った。真っ黒な雲から降り注ぐ異様な水柱が目撃され、最大時間雨量91ミリを記録した。同時多発的に発生した土石流が山あいの集落をのみ込み、1人が死亡、家屋28棟が全半壊した。

 当時、市長だった滝口季彦さん(77)は、出張先の広島からの帰路、「車が流されている」との一報を受けたという。「予報も前触れもなく、避難を呼び掛ける暇もなかった」。雨雲や雨量などの情報を得る態勢は弱く、避難勧告を出す基準はあいまいだった。

 市は初動の救援、避難所の設営、復旧作業など、次々と手探りの対応を迫られた。総務課の危機管理担当だった清水孝清さん(65)は「被災者に知らせるべき情報の提示が遅れ、血の気が引いたこともあった」と混乱ぶりを振り返った。

 住民の命を守るため、求められた「想定外への備え」。市は11年4月、危機管理課を新設し、清水さんは初代課長に就いた。「予測の難しいゲリラ豪雨を察知し、住民にいかに速く伝えるか」を追い求める日々だったという。防災計画を見直し、県や国、気象庁と連携して情報を把握する仕組みづくりを急いだ。各地区の環境に合わせて、無線や有線の情報伝達システムの整備にも腐心した。

 ▽豪雨や地震頻発

 平成時代は阪神大震災や東日本大震災をはじめ多くの災害に見舞われ、中国地方でも豪雨や地震が頻発した。「未曽有の被害が次々と起こり、対処しなきゃいけないことがものすごく増えた」と滝口さん。災害への対応は地方自治の課題として大きなウエートを占めるようになる。中でも、自治体が苦慮しているのが、住民の避難行動をどう促すかだ。

 14年8月の広島土砂災害では、深夜、未明の豪雨も見越した早めの避難の呼び掛けや、土砂災害警戒区域の指定の遅れが課題に浮かんだ。昨年7月の西日本豪雨では、その教訓を踏まえて警戒区域の公表が進み、早めに避難情報を発信した自治体が多かったにもかかわらず、実際に逃げた住民が少なかった実態が明らかになった。

 庄原豪雨から8年半。土石流の爪痕がなお残る一帯には、県の砂防ダムが谷ごとにそびえる。二次災害の恐れがあるとして7世帯が集団転出した川北町重行地区の篠堂集落や、周辺の土地を買い取っての整備だった。今回の西日本豪雨では各地で、さらなる「想定外」の豪雨にダムが耐えられなかった事態が相次いだ。ハード整備による限界も浮かび、まちづくりそのものの在り方を見つめ直す局面が続いている。

 ▽「公助」は不可欠

 清水さんは退職後、口和自治振興区の事務局長として地域の自主防災を引っ張る。「現実味のある備え」を目指して、より役立つハザードマップ作りなどに力を注ぐ。「防災の基本は自分で自分の身を守る『自助』で、住民同士の『共助』も大事だ。しかし、個人の意識や地域の活動には温度差がある。一人一人の命を守るために『公助』は欠かせない」。不断の知恵と努力を行政に求める。

庄原豪雨で被災した篠堂集落で、当時を振り返る清水さん(左)と滝口さん。一帯には砂防ダムがいくつもある