第九回「戦国武将たちの豪快でトリッキーな酒豪伝説」

ちーす。あけおめっす。年末年始と皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。きっとあれですね、バカみたいに酒ばっか呑んでたんでしょうね。ってことで、今回は戦国時代の酒にまつわる話にしましょー!

まずは織田信長さん。イメージでは酒呑んで暴れるタイプですよね。でも実際はそんな酒呑んでなかったみたいです。下戸説もありますが、酒宴は好きだったみたいですね。宣教師が持ってきたワインを日本で初めて呑んだ、なんて話もあります。

あとトリッキーなエピソードとしては、同盟関係にあった浅井長政に裏切られて大ピンチを負ったことがあった信長さん、総力を挙げてリベンジ、浅井親子と朝倉さんをやっつけます。翌年の宴会の時に「いい肴があんぞ!」と箱を3つ用意。パカーンとオープンした箱には金色の頭蓋骨が3つ。浅井親子と朝倉さんの頭蓋骨に漆を塗って金箔を施した代物でした。これを愛でながら宴会を楽しんだようです。趣味がいいですね! 一説には頭蓋骨を盃にして酒を呑んだ! なんてのもありますが、これは創作では、とのことらしいっす。

続いては酒豪伝説の方。上杉謙信さんです。越後の虎と怖れられた戦の天才ですね。この人はリアルに酒呑みだったみたいです。派手に宴会タイプではないらしく、数人かソロで縁側で月を見ながら渋くキメてたとか。まぁ常に酒呑んでたみたいで、戦地に向かう馬の上でも酒が呑めるように馬上盃を作ってヤッてたんですと。それも直径12センチもあるどんぶりサイズだったとか。どんだけ〜〜!!

慢性的に呑んでたので、アルコール依存症だったのでは?説も有力です。んで酒の肴が梅干しとか味噌が多かったらしく、塩分を摂り過ぎたんでしょうな、49歳の時に便所で脳出血を起こして亡くなります。

はい、次の呑兵衛さんは、母里太兵衛〈ぼりたへえ〉さん。この人は黒田官兵衛の家臣です。まさに豪傑といった体格の良さと存在感の武士で、酒も豪快に呑むタイプだったようです。

ある日、官兵衛さんから伏見にいる福島正則さんにお使いを頼まれます。酒でやらかすこともあった太兵衛さん。「福島正則は酒乱だから、あいつにそそのかされて呑んで揉めたりしたらダメなんで酒呑むなよ」と官兵衛さんから言われてます。福島さんちに着いた太兵衛さん。案の定、福島さんバリバリ呑んでて絡んできます。

「おめぇ、結構酒呑むらしいじゃんw うちでも呑んでけよw」。しかし太兵衛さん「いえ、結構でございます」。すると福島さん「ダセー!! 黒田家ダセー!! 酒全然呑めねぇんじゃんw」と。「黒田家を馬鹿にされたらそれは引けません」「じゃあこの大盃の酒一気なw まぁもし呑めたら欲しいもんなんでもやるわw」とグイグイ絡んできます。3升は入ろうかという大盃。

すると太兵衛さん、「じゃあ呑めたらその槍ください」と指さしたのは「日本号」と呼ばれる天皇家から織田信長、豊臣秀吉、からの福島さんが拝領した天下三名槍です。「お、おぅ…まぁ呑めんだろ! 呑めたらくれてやるわい!」と福島さん。からの速攻呑み干してしまう太兵衛さん。福島さん、酔ってたはずなのに顔面蒼白。「ほな明日、槍を取りに来ますけぇ!」と太兵衛さん、本当に翌日、槍を取りに戻ります。一夜明けて酔いも覚めた福島さん、「あ、あの…マジで持ってくの…。冗談だよね…?」とあがきます。「武士が約束を守らない、その程度の男なんですね、福島さんは!」と太兵衛さん。「…いや! 持ってけや!!」

こうして本当に日本号をゲットした太兵衛さん。このエピソードがもとになって「黒田節」という唄になって歌い継がれてますね。この日本号は現在も福岡市博物館に展示されてます。豪胆ですね〜。太兵衛さんもすごいけど、実際譲った福島さんもやはり豪傑ですね。

てなわけで、今回は戦国酒エピソードでお送りしました。みなさんも(特に俺)お酒で調子こきすぎないように穏やかな日々をお過ごしくださいませ。では御機嫌よう。

挿絵:西 のぼる 協力:新潮社

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