メクル第338号 必ずチャンスはある 料理人 上柿元勝さん(68)=パティスリーカミーユ=

 料理人として本場フランスの有名レストランで腕(うで)をみがき、現在(げんざい)は洋菓子(ようがし)店「パティスリーカミーユ」(長崎市茂里(もり)町)のオーナーシェフを務(つと)める上柿元勝(かみかきもとまさる)さんにお話を聞きました。 
 振(ふ)り返れば、白い制服(せいふく)にあこがれ続けた人生です。子どものころ、体育の先生は白い帽子(ぼうし)に白のトレパン姿(すがた)。それもアイロンがピシッとかかってかっこよく、あこがれました。中学の体育教師(きょうし)を目指し、体育大学に推薦(すいせん)してもらえるのを喜んでいたところ、がんばりすぎてひざを壊(こわ)してしまいました。進学は断念(だんねん)、大阪(おおさか)で調味料などを作る会社に就職(しゅうしょく)しました。
 「おれの人生、こんなはずじゃない。チャンスがあるはず」。勉強したい気持ちが強くなり、仕事の後に夜間大学へ通いました。電車で家に帰るころにはくたくたで、つり輪につかまったまま居眠(いねむ)りするほど。酒に酔(よ)ったおじさんの足を踏(ふ)んだらしく、しつこくしかられていた時、ふと目にしたのが調理師学校の看板(かんばん)。真っ白の制服を着たシェフ7人の写真と「フランス留学(りゅうがく)」の文字が目に入り、決意しました。「おれは料理人になる。フランスへ行こう」
 調理師学校では必死に勉強したものの、留学試験は2回とも不合格(ごうかく)。卒業後、道路工事のアルバイトをしてお金をため、あてもなくフランスの地へ降(お)り立ったのが24歳(さい)の時でした。
 働き口も住む場所も決まっていませんでした。パリに着き、1週間は花の都を満喫(まんきつ)。その後は料理人の仕事を何十軒(けん)もことわられ、両親に「フランス料理はおいしくてすごい。すばらしい国で修業(しゅぎょう)している」とうその手紙を書いたこともあります。約1カ月後、ある有名レストランの面接(めんせつ)で、薩摩弁(さつまべん)交じりのフランス語と英語を使って必死にアピール。何とか雇(やと)ってもらえました。
 それからは、トイレや更衣(こうい)室の掃除(そうじ)、包丁研ぎなど、人がやりたがらない仕事を率先(そっせん)してやりました。同僚(どうりょう)からいやがらせを受けても、言葉が分からず言い返すこともできない日々。その国のルールを知るには言葉しかないんです。朝方まで辞書を引き、休日には映画(えいが)を見て、国の文化や人の性格(せいかく)を知ろうと勉強しました。「一流の料理人になって日本へ帰る」という熱い熱い情熱(じょうねつ)を持っていたから。そしてフランス語で同僚に言い返すことができた時、自分を見る周りの人の目が変わりました。
 生きるためには、食べること。だから料理人は最高の職業(しょくぎょう)だと誇(ほこ)りを持っています。生まれ変わってもまた料理人になりたい。若(わか)い人に伝えたいのは、みんなにチャンスがあるということ。努力すれば必ず得るものがあります。壁(かべ)にぶつかってください。感謝(かんしゃ)の気持ちと向上心、信念を持ってチャレンジし続けることが大事です。

 【プロフィル】かみかきもと・まさる 1950年9月17日生まれ。鹿児島(かごしま)市(旧(きゅう)松元町)出身。辻(つじ)学園日本調理師(し)学校卒業。31歳(さい)で修業(しゅぎょう)先のフランスから帰国し、神戸と長崎のホテルで料理長として活躍(かつやく)。昨年11月、「黄綬褒章(おうじゅほうしょう)」を受章。人生で初めて作った料理は目玉焼き。

「一回も満足はしていない」。新しい味を求めて今も勉強中
「夢」という言葉が大好きと話す上柿元シェフ=パティスリーカミーユ

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