【夢酒場】最高に酔える究極のお湯割りの正体は 体が軽く、健康診断もばっちり

 平日の午後2時。24時間営業という侠気(おとこぎ)な酒場で私は一人、昼酒をしていた。フリーの物書きという仕事柄、自由だけはある。版元で打ち合せが終わった後、駅に向かう途中、「生ビール250円」の看板が目に入った。千円で昼食をとるか、千円で酔うかをてんびんにかけ小差で後者が勝った。

 元気のいい店の姉さんに「いらっしゃい」と迎えられ、勇気を得たが、店内はすでに出来上がっているシルバー層で埋まっていた。全員、まっとうな大人と思えない。話題の中心になっている陽気なおじさんの声に、なぜか親しみを覚えた。パイプを吸う横顔を見た瞬間、私は「パパ……」と小さく叫んでいた。

イラスト・伊野孝行

  “パパ”は大学時代の親友の父。関西から上京した私の、いわば東京の父だった。花見やクリスマスなどの家族行事に招かれるとパパと私は、酒好き、お笑い好きという趣味が合い、最強の酔っ払いコンビとなった。仕事の悩みも失恋も、語らずとも伝わる気まずいほどの友好関係を築いてきたのだ。

 「人生には嵐がある。でも私には友がいる」。酔うとキザになるパパはコースターにそんな文句を書いてくれたものだ。そんな東京の父に何度も救われた。

 しかしパパが七十路になり体が弱り、ママ(パパの妻)から断酒を言い渡されて以降、なんとなく縁遠くなっていた。

 パパは久しぶりの“娘”に気づくと目を見開き、「よしえか? 本当によしえか! ここで何してんだ」と叫んだ。ここで何してんのはお互いさまだ。「この子、オレの友達なんだよ〜」とパパは店中に聞こえるように自慢するのでうろたえた。「再会を祝して乾杯だ。焼酎お湯割りもう一杯!」とパパは興奮気味に注文すると誰かに電話を始めた。

 「まあっ、よしえさん? 久しぶりじゃない、元気? どこでパパに会ったの?」 電話の相手はママ(パパの妻)である。

「あの今日ちょっと店で…たまたま」

「パパ、まさか飲んでるの!」 なかなか鋭い。

「飲んでま……ふぇん」 

 はからずも、私は七十路男のナイショ酒の片棒を担いでいるらしい。

 私はパパがトイレに立った隙に、店の姉さんにパパのグラスを急いで渡し、ある特製のお湯割りに差し替えてもらった。「仕上げにはつぶした梅をっ!」

 すべてママの入れ知恵だ。

 パパは、「お、梅のサービスか。うまいなあ」と言いながらぐんぐん酔い、「元気だったかよッ、おいよしえ」とこぶしで頭をこずいた。間もなく、「そっちと同じのちょうだい」とあちこちから特製お湯割りを求める声が。

 まずいことになった。店の姉さんの目が泳ぐ。私は覚悟を決めた。「私の特製レシピですが、どうぞ皆さんも。ぜひ梅入りで」 

 「お、さらさら飲める。こりゃいい酒だア」

 これで本当に酔えるのか? 皆酔っていた。それはまるで超常現象だった。

 その後、パパからメールが来た。

 「よしえへ。あの店でたまにあのお湯割りをいただいています。翌朝、体が軽いんだ。健康診断もばっちりでママもびっくり。パパより」

 こっちもびっくりだ。

 酒の道を極めた大虎は、白湯(さゆ)で酔える……んだ。

 ママ秘伝のレシピは、ただのお湯のお湯割り(梅入り)だった。

 (エッセイスト・さくらいよしえ)

 さくらい・よしえ 1973年大阪府生まれ。日大芸術学部卒。著書に「きょうも、せんべろ」「今夜も孤独じゃないグルメ」「大熊猫ベーカリー」などがある。

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 酒の横道に迷い込んださくらいさんが、夢のような酒場を虚実織り交ぜて描きます。

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