母なる川の物語 5 ーそして、日本一のサケの川へ(1)ー

福島県楢葉町

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増殖事業の歴史―自然保護(種川制)から人工ふ化へ
今回は、木戸川漁業協同組合にとって何より一番大切な、サケのふ化増殖事業の歴史を詳しく、わかりやすくお話ししたいと思います。

■種川(たねがわ)制
サケふ化増殖の歴史は遥か昔、江戸時代中期に遡り、新潟県村上市を流れる三面川(みおもてがわ)で自然産卵による保護(種川制)が行われたのがはじまりです。
「種川制」とは、川の瀬に柵をつくり、そこにサケを追い込んで産卵させ、春になって稚魚が川を下る季節には漁を一切禁じるという方法でした。つまり、すでに当時から、サケが生まれた川に戻ってくる習性は知られていたのですね。
自然な保護によって増殖させようとする種川制は、やがて人工的な方法に変わっていきます。日本初の本格的なふ化場が北海道の石狩川支流千歳川に建設されたのは、明治21年のことです。こうして、サケの増殖技術は飛躍的に発展することになりました。
実は、この日本初のふ化場を造った方が、タレントの中川翔子さんのひいひいおじい様で、北海道庁初代水産課課長、伊藤一隆氏なのです。このことを知り、一瞬にしてしょこたんが好きになってしまいました(笑)

◇震災前の採捕尾数

■人口ふ化へ
しかし、人工ふ化増殖事業は明治27年頃から問題を抱えるようになりました。河川で採捕した親魚を売却してふ化場運営の資金としていたのですが、多く捕りすぎてしまい、ふ化増殖用の親魚が十分に確保できず、このためさらにサケ資源が減少してしまう悪循環が続いたのです。
そこで、国を挙げて「日本のサケ資源を増やそう!」と、昭和26年に水産資源保護法(河川に遡上したサケの採捕禁止)が制定され、昭和30年からは国や県が費用の一部を負担し、北海道と本州の河川には多くのふ化場が建設されました。福島県内にも11か所(現在は10か所)のふ化場が続々と建設され、木戸川や井出川のふ化場も建設されたのです。

■木戸川漁協のあゆみ
木戸川のサケの歴史については、残念ながら資料が乏しいのですが、楢葉町歴史資料館に残されている資料により、寛文11(1671)年7月、当地方を治めていた磐城平藩主の内藤候が「初鮭一番鮭から五番鮭まで献上した者に褒美を下す」という達しを出していることがわかっており、木戸川のサケ漁もこの頃から盛んに行われていたと思われます。採捕されたサケは、藩主や役人への献上品や御贈答品として使われていたそうです。それ以前は、いつからサケがいたか不明です。
木戸川漁協が設立されたのは昭和26年9月のことです。約2年後の昭和28年、清水が湧く北田金堂地地内に20万粒規模の最初のふ化場を建設しました。そのふ化場は、1年後に襲ってきた台風で裏山が崩れ壊滅してしまうなど、木戸川漁協の歴史には幾多の困難がありました。
しかし、困難が襲って来れば、そのたびに乗り越え、徐々に増殖事業の規模を拡大してきました。こうして、昭和58年に1,000万粒規模の現第1ふ化場が、そして平成3年3月に第2ふ化場が完成し、合わせて1,200万〜1,500万尾を放流できるまでになったのです。

■悲願の日本一
長い年月、先人先輩方の度重なる困難を乗り越えてきた努力の結果、平成7年の秋、サケの採捕尾数が100,703尾を数え、木戸川は初めて悲願の日本一に輝きました!翌年の平成8年の秋には木戸川過去最高尾数、なんと166,926尾も捕れたのです。当時の組合長たちの話によると、田んぼや用水路の中にまでサケが入ってしまうほどで、あまりにも捕れすぎて、漁協も途中で数えるのを止めてしまったそうなので、もしかしたら20万尾ぐらい捕れていたのかもしれませんね(笑)。
それまでは、採捕数も観光客も浪江町の泉田川の方が多く、当時の木戸川漁協は「いつか泉田川を越えてやる!」と、泉田川に何度も何度も足を運んで勉強したそうです。そして、「いつの間にか泉田川どころか日本一にまでなってしまった!」と笑いながら自慢していました。
その後、平成13年に井出川漁協と木戸川漁協が合併すると、井出川ふ化場も活用できるようになったため、これまで以上に健苗な稚魚を安定的に放流することができるようになりました。
ちなみに採捕尾数は国立研究開発法人水産研究教育機構が毎年、ランキングを公表しており、木戸川は毎年ランキングの上位なのです!その後も毎年、上位にランクインしていましたが、皆さんもご存知のとおり、東日本大震災の影響で再びふ化場ができる前の状態に戻ってしまったのです。
(次回に続く)

◇木戸川漁業協同組合ふ化増殖事業の歴史
昭和26年9月 木戸川漁業協同組合設立
昭和28年 北田字金堂地に初めての人工ふ化場(20万粒規模)を建設
昭和29年9月 台風により裏山が崩れ、ふ化場が壊滅
昭和29年 北田字中川原にふ化場(50万粒規模)を建設
昭和51年3月 前原字中川原にふ化場(300万粒規模)を建設
昭和53年 現在の場所に簗場を建設
昭和58年3月 1,000万粒規模の現第1ふ化場を建設
平成3年3月 現第2ふ化場を建設
平成7年 採捕尾数で初の日本一
平成13年 井出川漁協と合併