「兄弟姉妹と思って」 仕事も家も失った隣人を地域住民が自宅に受け入れ

MSFの診療所にやってきたエリザベスさんは、カメルーン人の夫と2人の子どもとナイジェリアで暮らす © Albert Masias

MSFの診療所にやってきたエリザベスさんは、カメルーン人の夫と2人の子どもとナイジェリアで暮らす © Albert Masias

もう1年も、誰にも知られないまま、住民の大移動が起きている場所がある。西アフリカの国カメルーン紛争が激化した南西州と北西州から、数万人が隣国ナイジェリアのクロスリバー州に逃げているのだ。国境なき医師団(MSF)は緊急対応を開始して、難民と、彼らを受け入れる地元の人びとを援助している。 

家もない、食べ物も水もない

ナイジェリアに作られた仮設の難民キャンプでは、何もかも足りない © Albert Masias

ナイジェリアに作られた仮設の難民キャンプでは、何もかも足りない © Albert Masias

南西州と北西州で政治紛争が激化したのは2016年の暮れ。分離独立派の武装勢力がこの地域を独立国家として宣言を出し、政府軍と対立した。それ以来、毎日のように暴力事件が起き、数千人が保護を求めてナイジェリアに逃げている。武力衝突がますます激しくなる心配をよそに、国際社会の動きは鈍く、人道援助団体の立ち入りが困難なカメルーン国内でも、避難先のナイジェリアでも、援助はほとんどない。

2018年11月末までに、推定43万7000人が南西州と北西州で国内避難民となった。多くの人は林へ逃げたが、現地の生活環境は悪く、仮設住居、食糧や水、基礎医療が足りない。MSFは南西州ブエアと北西州バメンダで搬送体制と救急対応体制を強化し、地域保健担当者の対応力を高めて、遠くの病院まで出かけなくても地域でケアを受けられるようにしている。活動の重点は農村部と遠方地域。こうした地域では、武力衝突の激化で多くの人が診療を受けられずにいる。 

ナイジェリアのクリニックでMSFの診療を受ける女性 © Albert Masias

ナイジェリアのクリニックでMSFの診療を受ける女性 © Albert Masias

一方、推定3万人の難民がナイジェリアのクロスリバー州に避難している。MSFは2018年6月に同州で活動を開始した。7月から11月半ばにかけて、医療チームが行った診療は3890件。患者の75%が女性、子ども、お年寄りだ。多くは、呼吸器系の問題や疥癬(かいせん)という皮膚の病気を抱えている。避難先の村やキャンプは生活環境が悪く、こういった病気にかかりやすい。MSFは高血圧や糖尿病など慢性疾患の患者も治療している。このほか、カメルーンでは風土病とされているマラリアや、外傷やその他の負傷の手術もしている。 

兄妹だと思って一緒に暮らす

オーガスチンさん(写真中央)は自宅に難民を受け入れて一緒に暮らしている © Albert Masias

オーガスチンさん(写真中央)は自宅に難民を受け入れて一緒に暮らしている © Albert Masias

避難が始まった当初、国境を越えてナイジェリアに逃げたカメルーン人難民は、現地の村びとたちの助けに頼るしかなかった。村の人びとも生活環境は楽ではなかったが、この地域は、地理的にカメルーンに近く昔から長く交流もあったため、難民は温かく迎えられた。

オーガスチン・エカさんは、ナイジェリアのアマナ村にある自宅にカメルーン人難民を受け入れ、立場の弱い人びとに寄り添っている。「彼らはナイジェリアに来ても、着の身着のままで泊まる場所もありません」とオーガスチンさんは話す。「私たちはみなさんを迎え入れることにしたのです。うちで、兄弟姉妹のように過ごしてほしいと考えています。クロスリバー州の人びとはみな、カメルーン南部から来た難民に好意的です。昨年は100人以上の難民を地域で受け入れました。男性、女性、子どもたちもいます」 

フィデリスさんは「受け入れてくれたオーガスチンさんに感謝している」と語る © Albert Masias

フィデリスさんは「受け入れてくれたオーガスチンさんに感謝している」と語る © Albert Masias

フィデリス・キグボルさんはオーガスチンさんの家で暮らす難民だ。カメルーンから逃げたのは2017年10月1日。分離独立派が独立を宣言した日だった。「マンフェ村で家族一緒に暮らしていました。農家で、家も自分で建てましたが、壊されてしまいました」と話す。

「アマナ村に着いたら、現地のみなさんが温かく迎えてくれたんです。みなさんも暮らし向きが豊かとはいかないのに……。状況がもっとよくなれば、祖国に帰りたい。ただ、ナイジェリアで私が持っていたものは、もう何も残っていません。生活を立てなおすには、助けが必要です」 

何もかも失い、今は小さなテントだけ

アゴダム難民キャンプで暮らすカメルーン人のグルモテーさんと2歳の息子セマちゃん © Albert Masias

アゴダム難民キャンプで暮らすカメルーン人のグルモテーさんと2歳の息子セマちゃん © Albert Masias

ナイジェリア国境地帯の村で現地住民と暮らす難民がいる一方で、仮設難民キャンプに移り住んだ人もいる。アダゴムにある難民キャンプは2018年8月に建設され、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が運営している。同年12月初旬の時点で6400人余りが暮らしている。

グモルテー・ボチュムさん(31歳)は2歳の息子セマちゃんとテント暮らしをする。「カメルーンではバメンダという都市に住んでいました。私はコンピュータ・エンジニアで教師もしていました。いつになったら戦闘が終るのか分かりませんが、全てを失ったことだけは確かです。今はこの難民キャンプで家族と一緒に暮らしていますが、生活は大変です。すごく小さなテントで家族全員が寝起きしています」 

アダゴムのクリニックで患者を見るMSFのプレシャス・ムダマ医師 © Albert Masias

アダゴムのクリニックで患者を見るMSFのプレシャス・ムダマ医師 © Albert Masias

MSFの医師、プレシャス・ムダマは、クロスリバー州に逃げて来た人たちには多くのものが必要だと語る。「MSFが援助活動を始めるまで、この地域の医療は途方もないニーズに到底追いつけない状態でした。州の医療体制に重圧がかかり、地元の人びとや難民のケアを担うためのスタッフも物資も足らなかったのです。MSFまさにこうしたときに援助活動を始め、この地の医療ニーズに移動診療で対応しています。医療チームは1日に平均120~150人の患者を診ています。8割が難民2割は地元住民です」 

食べ物を買うお金もない、と語るカメルーン人難民のリディアさん © Albert Masias

食べ物を買うお金もない、と語るカメルーン人難民のリディアさん © Albert Masias

リディアさん(40歳)は アダゴム難民キャンプで仮住まいをするカメルーン人難民だ。逃げる途中で、3人の兄妹を失った。リディアさんは現在、病気の夫と6人の子どもとテントで暮らしている。自分の体調が悪くなったときにMSFの医師に診察を受けた。「長いことひどい腹痛で具合が悪かったんです。アダゴム・キャンプに着いてすぐ、MSFが無料で助けてくれると聞きました。お医者さんたちがうちに来てくれて、病院に運んでくれたんです。お金も払わずにすみました。MSFの助けがなかったら、死んでいたでしょう。今はずっと気分がよくなり、キャンプに戻って家族と暮らしています」 

ナイジェリアのクロスリバー州で、MSFは2018年7月最終週に医療活動を開始した。イコムの総合病院内の外来クリニックで、地元住民と難民の両方の医療を担っているほか、オバンリク、ボキ、イコム、オゴジャ、エタングの地方自治体区域で6つのチームが移動診療を行っている。7月から11月半ばにかけては3890件の診療を行った。また、医療援助に加えて、給排水・衛生活動チームが27の手押しポンプを直し、4つの井戸を掘ったほか、地元の人びとと難民が暮らす村で52基のトイレを造った。

カメルーンでは、南西州ブエアと北西州バメンダで地域の診療所と病院を支援し、搬送と救急体制を補強している。MSFは救急搬送体制を確立し、医療・非医療の物資を寄贈したほか、一度に多数の負傷者が運び込まれた場合の対応策を複数の医療機関で策定した。MSFは地域保健担当者の訓練と能力強化も行い、これによってケアの地方分権を進めるほか、移動診療も運営している。 

© 特定非営利活動法人国境なき医師団日本