大学とは「未知との出合い」 高橋源一郎さんが「最終講義」

 14年にわたり明治学院大国際学部(横浜市戸塚区)の教授を務めた作家の高橋源一郎が、この春で定年退職する。それに先立ち学外にも広く公開された「最終講義」では、学生たちに接することが自身にとっても「学び」になったと述懐し「教師生活は、作家としての僕に対する贈り物だった」と語った。

 「さらば大学」と題し、昨年11~12月に行われた公開セミナーの一環。題名は高橋の退職を意味するとともに、政財界の要求に即した改革を迫られる近年の大学に対する“風圧”を踏まえ、学問の在り方を問い直す含意もある。法政大総長の田中優子、思想家の内田樹らとの対談を経て、最終回に独りで語った。

 進学校の中学に通っていた高橋は、本を読みあさり「自分たちで学びの門を開こうとしていた」早熟な同世代に驚嘆。「幸運な勘違いだったが、彼らを見て、中学生は誰でもドイツ語でリルケを読めるものだと思っていた」と振り返り、会場の笑いを誘った。自身も友人らに追い付こうと“背伸び”し、難解な現代詩に挑んだという。

 中2の夏休み、一緒に素うどんを食べていた友人が突然、詩を朗読し始めた話は、学びの神髄を言い得ていた。「それを聞いた私は動けなくなった。感動していた。たとえ意味が分からなくても、不意の出合いに感動することがあると知った」。後に、それが吉本隆明の「異数の世界へおりてゆく」だと知る。

 大学時代は、学生運動に関わり逮捕された。高橋は、ロシアの作家マクシム・ゴーリキーの「私の大学」を拘置所で読み「下層階級の生活に入り込み、さまざまな人々や出来事に出くわしたことがゴーリキーを作家に成長させた」と感得。その経験を顧みながら、大学の役割を、不意の出合いを重ね「自分自身に水をやり成長させる場所」であると定義付けた。

 明治学院大の教授に就任すると、学生が「言葉を待っている」ように見えたという。それで、作家が小説を通じて読者に伝えるように、学生に向かって「僕はこう思う。君は?」と問い掛け続けた。「私が授業でやってきたのは、未知との出合いの場をつくることだった」。学生自身の中にある「答え」に種をまき栄養を注ぐような感覚だった。

 「教授就任が子育ての時期と重なり、正直言って無駄な時間ではないかと初めは思ったが、今は感謝しかない。僕が教えたことと、僕が諸君から学んだこと…僕の“黒字”です」。そう語り、笑いとともに温かな拍手が起こった。

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