渋谷に残る地上時代の東横線

(上)デッキに復活したかまぼこ屋根とめがね模様、(下)再開発前の東横線渋谷駅外観

 渋谷駅周辺を久しぶりに歩いて、とんでもない変貌ぶりに目を見張った。これまで東京の再開発事業と言えば山手線の東側が割と取り上げられてきたような気がするが、どっこい西側だってすごい変化を見せているのだった。特に渋谷駅周辺は至る所で事業が進み、その規模は半端でなく、とても全体像はわたしには把握できない。

 変化が表面化したのは2012年から13年にかけての「渋谷ヒカリエ」開業や東横線渋谷駅の地下化、副都心線との直通運転開始あたりとされている。東京五輪後、新しい渋谷の街が出来上がっているのだろう。

 今回わたしが歩いたのは昔、あまり注目されず地味な分野だった南の地域。東横線がまだ地上にあったホームのあたりから代官山方面を南に向かった。この辺、青山通りや首都高などで駅中心部と遮断され、薄暗いイメージに包まれ足を運ぶ魅力に乏しかった。雑居ビルの足元には、流れているかどうかさえ分からない薄汚れた渋谷川があった。

 ところがそぞろ歩いてみてすぐに驚嘆した。「なんだ、こりゃ!」

 見た目が直線的でないユニークな「渋谷ストリーム」という店舗や企業、ホテルなどが入る35階建ての大型複合施設ビルがどんと鎮座。さらにこのビルに沿った渋谷川が遊歩道とともに実にきれいに整備されていたのだった。両サイドの壁面から水がシャワーのように川に落ち、そこには澄んだ水が流れていた。あのどぶの流れ、薄暗さはみじんもなくなっていた。

 これらの再開発は廃止された東横線のホームや高架線路の跡を生かしてできたのだが、当時を彷彿とさせる憎い演出が随所に施されていた。駅からストリームに向かう歩行者用の高架デッキの天井があの懐かしい渋谷駅の「かまぼこ型屋根」だったり、両側にはめがねのような形をした連続模様が再現されていたのだ。「渋谷駅のホームここにあり」を主張していた。

 さらにストリーム内をそのまま進むと床に黒い2本の線があった。よく見るとそれは線路だった。東横線のレールがかつてここにあったことをここでも示している。渋谷川に沿ってさらに南下するとかつての東横線高架に沿って遊歩道がずっと続き、当時の線路を再現したかのような道筋を描いていた。

(上)渋谷ストリームに残る“東横線”、(下)地上駅だったころの渋谷駅

 東横線が地上から消えて6年。沿線がこんな形で変貌しているとは思わなかった。「渋谷のB面」などと言われてきたこの地域は若い人やカップル、親子連れ、あるいはわたし同様、カメラを向ける高齢のおじさんまで、いろんな人で賑わっていた。

 混沌、猥雑、分かりにくさ、危ないにおいぷんぷんが割と魅力的な谷の底タウン渋谷。この要素は相変わらず残しながらも、これからあらゆる個所で変貌は続く。大いに見ものでわくわくする。そのうちの一つであるこの駅南側を歩いていて頭をよぎっていたのは巨大な頭端型ターミナルだった渋谷駅を行き来する東横線の車両達だ。

 ずっと前の子供時代。ターミナルに行くたび、端っこで見ていた銀色ステンレスと緑色車両の競演。行き先はいつも「桜木町」、時々「元住吉」だった。赤い表示板を掲げた「急行」に乗るのがうれしかった。地上時代の東横線の足跡を忘れずに、確実に刻印した“渋南”再開発に脱帽。

 ☆共同通信・植村昌則

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