冬の移籍市場も残すところあとわずか。ここでは、『sportskeeda』による「サッカー史上、最も奇妙だった移籍TOP5」を見てみよう。
ケヴィン=プリンス・ボアテング
2019年1月、サッスオーロ⇒バルセロナ
この電撃移籍は多くの驚きを誘った。世界最大のクラブのひとつがピークを過ぎた選手を獲得したのだから。
バルサ史上初のガーナ人選手になったボアテングは、その類稀なキャリアに新たなページを刻んだ。
これまで所属してきたクラブはヘルタ、トッテナム、ドルトムント、ポーツマス、ミラン、シャルケ、ラス・パルマス、フランクフルト、サッスオーロ、そしてバルサ。
強さ、速さ、得点への嗅覚を備えた彼は、大物になると期待されていた。ただ、最大の不満点は比較的低い得点レートかもしれない。398試合で61ゴールなのだ。
パコ・アルカセルとムニールを売ったバルサは、ルイス・スアレスに休養を与えられるようなバックアップFWを探していた。
そこで引き入れられたのが、31歳のボアテングだった。買い取りオプションは行使されないかもしれないが…。
アレシャンドレ・パト
2016年1月、コリンチャンス⇒チェルシー
この元神童がバルセロナ戦の開始24秒で決めた圧巻のゴールは誰もが覚えている。
それと同時にスーパースターになれなかったワンダーキッドとしても知られている存在だ。
2007年にミランに加入するも、怪我によって成長は阻害されてしまった。そして、コリンチャンスへと移籍して母国へ帰国。
だが、2016年1月にチェルシーが電撃獲得して世界を驚嘆させることに。
半年間のローン移籍だったものの、デビューしたのは4月。それでもアストン・ヴィラ戦で獲得したPKを自ら決め、デビュー戦でゴールを決めたプレミアリーグ史上6人目のブラジル人選手になった。
代理人はパトがロンドンでの生活をエンジョイしており、完全移籍を望んでいるとアピール。だが、チェルシーが2試合の出場に終わった彼を買い取ることはなかった。
ニクラス・ベントナー
2012-13、アーセナル⇒ユヴェントス
長身でフィジカルが強く、それでいて器用さも兼備していたベントナー。実のところは並の選手だったが、本人自ら「世界最高」だと宣言したことで、メディアやファンからイジれらることに。
“神ベントナー”としてファンから知られる彼は2005年にプロ契約を結んだアーセナルで台頭。だが、2010-11シーズン頃から立場が微妙になると、 2012年夏のデッドラインデイにユーヴェへのシーズンローンが決まる。
彼にはユーヴェのようなビッグクラブでプレーするための資質が欠けていると多くの人間が思っていただけにこの移籍はサプライズだった。
結局、怪我の影響もあり、11試合でノーゴールという結果に終わることに…。
エリック・シュポ=モティング
2018年夏、ストーク⇒PSG
ハンブルガーSVでキャリアをスタートさせた彼は2007年にデビュー。2011年にマインツ、2014年にシャルケへと移籍した。ゲルゼンキルヒェンでは主力として活躍し、2017年にプレミアリーグへ参戦する。
マンチェスター・ユナイテッド戦で2ゴールを叩き出して話題になるなど、2部降格となったストークにおいて30試合5ゴールをマークした。
そんなシュポ=モティングをPSGがフリーで獲得したことは大きな衝撃だった。世界的なメガクラブが29歳の彼を獲るとは誰も予期できず。
ただ、予想されていたことではあるが、パリではバックアッパーとして先発する機会はほとんどない。
パウリーニョ
2017年夏、広州恒大⇒バルセロナ
トッテナムへ移籍した2013年当時、彼はブラジルで最も期待される若手のひとりだった。
だが、スパーズでは期待外れに終わり、「失敗作」とのニックネームまで付けられるはめに。そして、中国へと移籍したことで、もはや終わった選手になったかに思われた。
そんなパウリーニョをバルサが4000万ユーロ(50億円)で獲得した際、成功を疑問視するファンやメディアからは失笑を買った。
だが、驚くべきことに、パウリーニョは一貫したハイパフォーマンスを披露。国内2冠におけるキープレイヤーとなり、バルサでそのキャリアを復活させた。わずか1年で中国に戻ったことも驚きだったが…。