【特集】「日本五輪の父」嘉納治五郎の教え 

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「精力善用」心身の力を最大限生かし、社会が良くなるために用いること。
「自他共栄」相手を敬い、助け合って自他共に栄えること。

 柔道の理念を表した嘉納治五郎の言葉です。

「柔道の父」と呼ばれ、戦前、オリンピック誘致の立役者となった治五郎。時代を超えて語り継がれる嘉納治五郎の教えとは。

神戸の郷土史を研究する姫路独協大学副学長の道谷卓さん。

去年10月、地元が生んだ偉人嘉納治五郎の生涯や地域との関わりを冊子にまとめました。

治五郎は幕末の1860年、現在の神戸市東灘区御影本町で酒造業などを営む嘉納家の三男として生まれました。

冊子にはこう記してあります。「勝海舟は治五郎を利発そうな子どもだと感じ、勉学に励むようアドバイスした」

上京して様々な学問を学んだ治五郎。ところが、体が弱いことにコンプレックスを感じていました。そこで始めたのが「柔術」でした。

そして23歳の時、柔道の総本山「講道館」を創設。以降、生涯に渡って柔道の普及に努め、世界平和にも通ずる「精力善用」「自他共栄」の精神を世に広めていきます。そんな治五郎の心を引き付けたもの…。

神戸市東灘区の御影公会堂では銅像や直筆の書のほか、治五郎が残したこんな文書を見ることができます。

「国際オリンピック大会に参加するの計画を立てん」

柔道の創始者として海外にも名が知られていた治五郎は、東洋で初めて国際オリンピック委員に就任すると、日本は1912年、ストックホルムで開かれたオリンピックに初参加を果たしました。

その後、治五郎は1940年の東京オリンピック誘致に成功しましたが、戦争の激化により、大会は幻に終わりました。

一方で治五郎は教育の発展にも力を注ぎました。
神戸市東灘区にある全国屈指の進学校「灘中学校・高校」。

地元住民の要望を受けて旧制灘中学校の設立にも貢献しました。

学校には治五郎が生徒たちに教えを説いた演台が当時のまま残されています。

古里への思いを抱き続けた嘉納治五郎。
1938年、79歳でその生涯を終えました。

治五郎の生家にほど近く、親戚筋にあたる「菊正宗酒造」。

ここに去年の年末、「治五郎生誕の地」をしめす石碑が建立されました。

「日本のオリンピックの父」

嘉納治五郎の教えはこれからも受け継がれていきます。