アナウンサーになろうと思ったきっかけは?
小学校2年生の時に、地元札幌のテレビ番組「どさんこワイド」に出ているアナウンサーのレポートが、楽しそうですてきだなと思いました。何より、人前で話すのが大好きでした。
アナウンサーの輩出数が一番多かった、早稲田大学第一文学部に進み、卒業後は山形テレビに入社しました。地方局ゆえ、ニュースを伝えるだけでなく取材して原稿を書いて、時には撮影や編集まで全て自分でやっていました。大変でしたが、自分が取材したものを自分で伝える楽しさを教わりました。
来米までの経緯は?
東日本大震災の時に、他の県に取材に行きたくても、基本的に山形の局は山形のニュースしか取材できなくて。日本全国で取材したいと思うようになり、東京のTBSのニュース番組に移りました。そこでの主な仕事はニュースを伝えることでしたが、自分で取材したくてアピールした熱意が伝わり、自分でカメラを持って全国の取材に行くことができました。
そのうち、世界で起こっていること、中東の紛争やテロ、差別問題などのニュースを、全く実感を持って伝えられていないと気付きました。「世界に目を向けたい」と思うようになり、2016年にノースカロライナ大学に国際客員研究員として入学。そのうちにアメリカで働きたいという欲が出てきました。
TBS時代に、ニューヨークから株価を伝えるアンカーを見て、いつかこんな風になりたいと思っていたことを思い出し、17年に当地に来ました。
当地での主な仕事は?
全米50州で放送するインターネットラジオ「さくらラジオ」のキャスター、TBSの経済番組「ビジネスクリック」のレポーターの他、フジテレビ「めざましテレビ」の特別レポーターなどもやりました。
大変だった仕事は?
「めざましテレビ」の仕事で、日本語で現場をレポートしながら、その場で指示が出た内容を英訳してインタビューして、回答を日本語に通訳するという仕事をやったのですが、全く経験がなかったので本当にタフでした。
喜びを感じる時は?
日本に株価を伝える仕事では、英語で入ってくる情報を理解し、日本語で原稿を書きますが、最初は英語の文章が一行たりとも読めなかったです。次第に内容が分かってきて、原稿にまとめられるようになりました。日々の積み重ねで、少しずつコツがつかめてきたことが一番うれしいです。
今後の目標は?
世界の出来事を自分の足で取材できるようになりたいです。また、私のキャリアや生き方が、日本の女性のロールモデルになるようにしたいです。こんなキャリアの築き方もあるよ、こんな生き方もあるよ、世界はあなたの周りだけじゃないよ、ということを、私の存在を通して気付いてもらえたらいいなと思います。
『若者の日常チェック!』
**彼らは日常をどうやって過ごしているのか。
仕事場、オフの姿を追う。**