プロジェクト学習の真の意味とは【竹内薫のトライリンガル教育】

サイエンス作家として有名な竹内薫先生は、「トライリンガル教育」を推奨するYES International Schoolの校長という側面ももっています。前回は、プロジェクト学習の「基礎」となる「言語」について書きました。今回はその先、プロジェクト学習について説明します。

言語は人間が「考える」ために必要なツール

前回は、プロジェクト学習の「基礎」となる「言語」についてしつこく書きました。言語は人間が「考える」ためにどうしても必要なツールです。言葉なしに論理的に考えることは不可能です。頭の中で言葉が響かず、パソコンや紙でアイディアを書くこともしなければ、人間は考えられない生き物なのです。

もちろん、どんな言語で考えるかは、人によって違います。日本語、英語、数学、手話……言語は、「相手に考えを伝える」「相手の考えを理解する」ためにも必須です。ここで言う「相手」には、世界中の人々だけでなく、コンピュータやAIも含まれます。

学校で英数国が特別な科目だったのには、ちゃんとした理由があるのです。現代では、プログラミング言語を介し、数学でコンピュータやAIに指示し、理解する必要が出てきました。

人間はプロジェクトをする生き物である

さて、以上を理解していただいた上で、今回は人間が「プロジェクトをする生き物である」ことをじっくりと説明したいと思います。

プロジェクトと言えば、まずは会社のプロジェクトが思い浮かぶのではないでしょうか。大昔の会社組織は、社長、部長、課長、係長、主任といった、固定された身分から成り立っていました。でも、それは刻々と変化する仕事の実情と合いません。そこで、「事業部」が生まれました。事業は、実は「大きなプロジェクト」のことです。原子力事業部、家電事業部、カメラ事業部、カラオケ事業部……相手が企業であるか、一般消費者であるかの違いはあるでしょうし、モノを作るかサービスを提供するかの違いもあるでしょうが、ようするに事業は、大きなプロジェクト区分なのです。

ところが、何十人も何百人もの社員を抱える事業部は、小回りが利きません。本来、どんな事業も小さな規模からスタートしたはずですが、いつの間にかお客さんが増えて、仕事に携わるメンバーも増えて、大所帯になってしまったのです。

では、新規事業はどうはじめるのでしょうか。いきなり数百人の部隊で事業部を作って始めるわけにはいきません。そもそも、新規事業がうまく育つかどうかさえわからないのですから。

そこで、数名から10名くらいの少数精鋭で新規事業を始める必要があり、そのリーダーを「プロジェクトリーダー」と呼ぶ会社が増えました。臨機応変に動けるプロジェクト制ですね。10名以内であれば、会議も一度で済むので、意思決定も迅速にできます。

会社のプロジェクトの最小単位

ここで注目していだたきたいのが、会社のプロジェクトの最小単位が、多くの場合、数名〜10名であることです。なぜか。実は、これより少ない人数だと足りず、多いと効率が悪くなってしまうのです。

たとえばプロジェクトメンバーが2名だとしましょう。1名がお得意さんとの打ち合わせに行ってしまったら、もう1名は事務所に残って電話番をしなくてはいけません。請求書を書くのも、クレーム処理も、会社の上層部への報告も、電話応対も、全て2名だけでやるのは不可能です。

逆にプロジェクトメンバーが30名だとしましょう。学校の一組と同じくらいの人数ですが、これだと、全員が会議に出席したら百家争鳴ですし、収益が上がらず解散する場合も、メンバーの移籍や転職でてんやわんやでしょう。どう考えても30名がプロジェクトの最小単位ということはありえません。

ようするに、小回りが利いて、円滑なコミュニケーションが取れ、仕事が効率よく回る人数は、自ずと決まって来るのです。それが、数名から10名なのですね。

軍隊組織を見ると、この事情はわかりやすいかもしれません。軍隊の一番小さな単位は2人組です(単独行動は危険なので許されません)。でも、2人でできるのは基地内のパトロールくらいで、とてもじゃありませんが、戦うことはできません。実質的な最小単位は数名〜10名の班、もしくは8名〜10名強の分隊なのです。班を率いるのは伍長、分隊を率いるのは軍曹と相場が決まっていますよね。この分隊が複数集まって、ようやく将校が率いる小隊になるのです。

数名から10名という人数には、メンバーの気心が知れ、あうんの呼吸でコミュニケーションが図れ、役割分担ができて仕事が効率よく進む、というメリットがあります。

あるいは、人類の黎明期を考えてみましょう。狩猟採集時代、人間は自分たちより強く、動きの速い動物を狩って食べる必要がありました。その際、いきなり30名で襲いかかったのでは、獲物に察知されてしまうでしょうし、役割もかぶってしまうことでしょう。全員で作戦を共有し、臨機応変に状況変化に対処し、槍を投げたり、罠を張ったり、とどめを刺したり、獲物を村まで運んだり……役割分担をしつつ、効率よく狩をするのに最適な人数は、数名から10名に落ち着くはずです。

まとめてみましょう。

まとめ

メンバー全員が、円滑なコミュニケーションを図り、作戦や目的や手段について熟知し、状況変化にも臨機応変に対処し、過不足なく役割分担をしてプロジェクトを遂行するためには、数名から10名という人数が最適である。

人間は、大昔から、食べ物を獲ったり、戦ったり、仕事をして生存してきたわけですから、「人間はプロジェクトを遂行する生き物である」と定義してもよさそうに思われます。

では、あらためて、プロジェクトとはいったいなんでしょうか。それは、決まり切ったなにかではありません。研究開発、デザイン、新製品の発売、YouTubeの制作、音楽イベント、単行本の出版……人間のありとあらゆる営みを「プロジェクト」と見なすことが可能です。それは、時代や場所やメンバー構成によって姿を変えます。

プロジェクト(project)という英語は「計画」「事業」などと訳されますが、本来の意味は「突き出る」「発射する」「投影する」です。ロケットなどの発射体は「プロジェクタイル」(prjectile)であり、会議では「プロジェクター」(projector)で映像を映しますよね。そこから転じて、未来に向かってアイディアや企画を発射するのが「計画」であり「事業」ということなのです。

哲人サルトルの考え

ここで思い起こしたいのが、我が敬愛する哲人サルトルの考えです。サルトルは、第二次世界大戦直後のフランスにおいて、人々が不安と希望を抱いて、がれきの中から未来に向かって進もうとしていたとき、「実存主義」という生き方を提唱しました。

1967年。サルトル(前列左から2人目)の右側の女性がシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Government Press Office (Israel))画像参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Government_Press_Office_(Israel)

小難しい哲学の話ではありません。サルトルは文学者・劇作家でもあり、その作品を通じて、実存主義を我々のような一般人にもわかりやすく説明してくれました。実存とは「人間」という意味です。人間は、自分で選んでもいないのに、この世に生まれて来ます。いきなりこの世界に投げ出される存在なのです。それは動物だって同じですが、言葉を使って考える人間は、その先が他の動物とは違います。

サルトルは、人間の本質は、「未来に向かって自分自身を投げること」だと主張します。それをフランス語で「プロジェ」(projet)、日本語の哲学用語としては「投企」(とうき、未来に自分を投げることを企てる)と言います。

世界の真っただ中に放り出され、その不条理をものともせず、果敢に自らを未来に向かって投げ出す存在。それが人間の本質、すなわち「実存」だというのです。

ここで「未来」と言いましたが、そもそも1年後とか10年後や1億年後(!)のことを考えることができる動物は、言語を操る人間だけであることに注意してください。言語がなければ、未来について考えることすらできないのですね。

そして、もうお気づきのように、フランス語のプロジェは英語のプロジェクトですよね。プロジェクトという言葉は、安易な使われ方がされていますが、言葉の原義に立ち帰ってみれば、「実存とは、未来に向かって自分自身を投げる人間のことである」という深い哲学的な意味があることがわかります。プロジェクトこそは、人間の本質であり、生き方の根本なのです。

というわけで、今回は、プロジェクトの本質について考えてみました。次回は、教育の現場において、プロジェクト学習がもつ意味と実践例をご紹介したいと思います。

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