かつてオスマン=トルコと呼ばれ、世界に冠たる一大帝国を築いたトルコ。
彼らは明治時代、和歌山県沖で難破した軍艦エルトゥールル号が日本人に救出されたことから歴史的には親日であり、日露戦争に日本が勝利した際にも歓喜したと伝えられる。
今回は、そんなトルコで繰り広げられるサッカーリーグ「スュペル・リグ」でプレーした日本人を特集しよう。
稲本 潤一
所属したクラブ:ガラタサライ(2006~2007)
成績:25試合0得点
スュペル・リグで最初にプレーした日本人が“黄金世代”の稲本である。
プレミアリーグのフラムなどで活躍したものの当時所属するWBAが降格したこともあり、2006年ワールドカップ後にトルコへ。
UCLでゴールを記録するなど長友と同様にサポーターから愛されたが、給与の未払い、自身を誘ってくれたエリック・ゲレツ監督の退任もあり1シーズンで退団した。しかし、1ボランチとして起用され「守備が第一」であることに気付くきっかけに。
それが攻撃好きだった彼の選手としての寿命を伸ばすことに繋がり、39歳になった今季はJ3・SC相模原でプレーする。
瀬戸 貴幸
所属したクラブ:オスマンルスポル(2015)
成績:7試合0得点
高校卒業後に南米を経てルーマニアへ渡った瀬戸。
当時3部だったアストラを1部の常連にしリーグ優勝まで経験した彼は、同国の代表入りを囁かれ、ELではあのトッティとの対決を実現させるほど大きな成功者となった。
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しかしトルコへの移籍はほろ苦いものに。「色々と高いレベルを経験でき、我慢の時期も長かったです」と自身のブログに綴ったように、7試合185分の出場にとどまり半年でアストラへ復帰することになった。
昨夏J2・ヴァンフォーレ甲府へ加入し初めてJリーグを経験。今冬、ラトビア1部リーグのFK RFSへ移籍している。
細貝 萌
所属したクラブ:ブルサスポル(2015~2016)
成績:20試合0得点
ブンデスリーガの舞台で長く活躍し、日本代表にも招集された細貝。
しかしながら2014-15シーズンの後半はヘルタ・ベルリンで“飼い殺し”の状態にあい、夏の移籍期限のぎりぎりでブルサスポルへ期限付き移籍することに。
当時のトルコは政治的な混乱で治安が悪化していたが、細貝はそうした環境のなかでむしろ試合に出られる喜びを感じ、本職のボランチだけでなく右サイドバックとしても躍動することになった。
その後シュトゥットガルトへの移籍、7季ぶりの日本復帰(柏レイソル)を経て、今年からはタイのブリーラム・ユナイテッドでプレーする。
長友 佑都
所属したクラブ:ガラタサライ(2018~)
成績:15試合0得点(昨季のみ)
2010年ワールドカップ、2011年アジアカップの活躍でチェゼーナへ移籍し、わずか半年でインテルへ栄転した長友。
クラブのレジェンドであり尊敬するハビエル・サネッティと同じくインテル一筋を貫くことを望んでいたが、出番を減らした彼はワールドカップを半年後に控える2018年1月、ガラタサライへのローン移籍を決断する。
結果的にこの判断は大成功であった。トルコで熱烈な歓迎を受け調子を取り戻した彼は、ワールドカップで日本代表をベスト16に導き、大会中には完全移籍も発表されている。
今季は途中、肺気胸にも見舞われたが短期間で復活を果たすと、先日行われたアジアカップでも獅子奮迅の働きを見せた。
香川 真司
所属したクラブ:ベシクタシュ(2018~)
昨夏のワールドカップで復活を遂げたものの、今季は開幕からドルトムントで構想外となっていた香川。
小さい頃からの夢だと語っていたスペイン行きの交渉も難航したが、冬のマーケット最終日、トルコ三大クラブの一つであるベシクタシュへの期限付き移籍が決まった。
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そこからについては説明不要であろう。わずか3日後にデビュー戦した彼は、投入16秒で日本人初ゴールを記録すると、その2分後にはFKで2点目を決めるという華々しいデビューを飾った。
かつて香川の活躍によってブンデスリーガに「日本人ブーム」が到来したが、トルコでも再びそれが巻き起こるだろうか。