前監督はシロなのか 木を見て森を見ぬ捜査 日大悪質タックル

By 佐々木央

問題となったタックル(関学大提供)

 日大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題で、警視庁は前監督と前コーチの指示を裏付ける事実をことごとく否定した。産経新聞2月6日朝刊によれば、前監督・前コーチについて捜査幹部は「グレーではなく、シロ。捜査1課が捜査を尽くした結果、犯罪に当たる事実は一つもなかった」と断言したという。

 警視庁の描く事件の構図によれば、何の指示も示唆もないのに、選手が完全な誤解に基づいて関学大選手にけがをさせたことになる。選手だけが「容疑者」として残った。さすがに「木を見て森を見ぬ」たぐいと言わざるを得ない。

 朝日新聞の同日朝刊は、警視庁と逆の内容の報告をまとめた日大の第三者委員会委員長の批判コメントを掲載している。

 「指示がない限りあのようなプレーはできない。到底理解できない」「(反則で受けた)15ヤードの罰退(陣地の後退)を知った時になぜ監督は選手に何も言わなかったのか説明がつかない」

 そこで警視庁の判断の当否について、報道をもとに検討する。

 大きな争点となった「つぶせ」という言葉について、報道は次のように説明する。

 「『つぶせ』は思い切り行けという意味で、必ずしもけがをさせるという意味ではないと、捜査1課は判断」(東京)、「捜査1課は日大関係者やOBらに聴取し『潰せ』という言葉は『強いタックル』などの意味でチーム内で日常的使われていたことを把握」(産経)、「部員やOB、アメフット界の100人以上に聞いたところ『激しく行け』の意味で日常的に使われていた」(毎日)

 しかし、この言葉は独立して使われたわけではない。選手が昨年5月の記者会見で明らかにした事実経過によれば、前コーチから伝えられた前監督の言葉は「相手のクオーターバック(QB)を1プレー目でつぶせば(試合に)出してやる」というものだった。この発言自体は捜査1課も否定していないようだ。

 警視庁の語義理解によれば、この日本語は「QBに1プレー目で思い切りぶつかれば出してやる」ということになるが、それは普通の日本語理解とは懸け離れている。

 「激しく行く」という意味なら「1プレー目で」という限定句でなく「1プレー目から」でなくてはおかしい。標的をQBに限定しているのも、「思い切り行け」といった抽象的な激励でなく、具体的な指示であることを示す。もっと暴力的な行為を要求していることは明らかだ。

 この単純素朴な日本語理解を覆し、「つぶせ」だけを切り離して語義を特定するために、捜査1課は100人以上もの関係者に聞いた。だが、文脈を抜きにして取り出したら、たとえ千人に聞いても結果は同じだったろう。

 人手と時間のコストをかけてこれだけの人に聴取したのは、これが暴行の指示の核心だったからだ。その結果、「つぶせ」の意味は希釈され、行為と時間と対象の特定性を失い、具体的な指示内容が否定された。あとは簡単なことだった。

 直後の前コーチ「やりましたね」前監督「おお」のやりとりは、認定されてもされなくても、もともとの指示の有無とは関係ない。前監督が反則プレーを見ていたかどうかもそうだ。それが確実に行われると知っていれば、むしろ残酷なプレーは見たくないのが人情かもしれない。

 インカム(ヘッドホン)が故障していたかどうも、事後の些末な問題だ。それを見出しにとって報道していたメディアもあったが、目くらましの論点にすぎない。

 もう一つ、核心がある。朝日新聞から引用する。

 ―関東学連などの調査では、選手が「(相手を)潰すんで出してください」と直談判した際に、前監督が「やらなきゃ意味ないよ」と応じたとし、「立派な指示」と認定した。一方、警視庁は、ほかに前監督の返答を聞いた第三者がおらず証明できない、とした―

 ここに至って、冒頭に紹介した捜査幹部の言葉「グレーではなく、シロ。犯罪に当たる事実は一つもなかった」は、ミスリードだったことが分かる。

 「やらなきゃ意味ないよ」発言は、「なかった」と証明されたのではなく、証明する人がいなかっただけの「グレー」だったのだ。あえて事実に反する強い言葉を使ったのは、記者たちを誤導し、それによって世間にすり込まれた最初の印象を反転させる意図があったのではないか。

 第三者がいないところで起きた出来事だから「なかった」と安易に結論付けるのは、捜査として、あってはならないはずだ。1対1の状況で起きた出来事で、両者の言い分が食い違うということは日常でもあるし、当事者の利害が厳しく対立する刑事事件では、とりわけ起こりがちな事態だ。性犯罪などを想起してもらえばいい。

 そのとき「証明する人がいないから事実がなかった」では、警察の存在意義が失われる。客観証拠や証言態度、事件に至る経過やその後の対応、本人の日頃の言動や人格、その形成過程まで調べて、どちらの言葉に信用性があるのかを見極めるはずではなかったか。

 それゆえ「他に聞いた人がいない」は捜査当局にとって、最後の逃げ道であり、禁じ手ともいえる。この禁じ手を2度も使うわけにはいかなかった。だから「つぶせ」の方は、語義の問題に矮小化して否定したのではないか。

 問題とされた一連の発言や事実は、蛮行に至る経緯を含めて評価しなければならない。そのことはこの事件に関する以前の記事「日大選手に心からのエールを」(昨年5月23日付本欄)でも書いた。簡単に振り返る。

 それは前監督・前コーチによる叱責から始まった。いわく「やる気が足りない」「闘志が足りない」。次に実戦形式の練習から外され、さらに世界大学選手権代表を辞退させられた。多くの部員の前で、グラウンド10周の罰走という「体罰」も科された。

 理由を示さないマイナスの評価や屈辱、罰を与えられ、自尊心を傷つけられて、選手の心の支配は完了していた。どうすれば前監督・前コーチに気に入られ、試合に出られるようになるのか。もしかしたら、何も言わなくても、あごをしゃくるだけでも、監督の意思を忖度して、選手はやり遂げたかもしれない。

 今回の捜査は、中立を装いながら権力を持つ側に寄り添い、弱者・被支配者への想像力を決定的に欠いていたように思う。(47ニュース編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

【注】引用した新聞記事の中で関係者を実名で報じているものもありましたが「前監督」「前コーチ」「選手」と書き換え、統一しました。

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