「ありがとう! “帝王・本山”」。本山哲に星野監督、柿元邦彦アンバサダーたちが感謝の言葉

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 2月9日に発表された本山哲の“GT500”クラス引退。ニッサン/ニスモの2019年モータースポーツ活動計画発表会で行われた引退セレモニーでは、ニスモの片桐隆夫CEOやTEAM IMPULの星野一義監督、柿元邦彦アンバサダーなどが、ニッサンのエースとして第一線で活躍してきた本山へ感謝の言葉を述べた。

■片桐隆夫ニスモCEO

「22年間の長きに渡りまして、ニッサン陣営のエースドライバーとして激戦のGT500にて3度のシリーズチャンピオン、16回の勝利をもたらしてくれました。本当に感謝しています」

「また、ニッサン陣営のみならず、日本のモータースポーツを代表するドライバーとして、つねに第一線で活躍していただきました」

「相当なプレッシャーがかかるなかでも、着実に勝利を重ねて3度のタイトルを獲得したことは、本山選手のテクニック、レース運びの素晴らしさはもちろん、強靭な精神力を合わせ持っていることの証明だと思います」

「また本山選手は実戦における速さ、冷静さだけではなく、マシンの開発やサーキットでのテストなど、開発を進める能力にも大変長けております。フィードバックの的確さは、ニスモのエンジニアや開発陣の大きな助けになり、ニッサンの戦闘力に大きな力を発揮してくれました」

「また、本山選手はチームを引っ張る、ひとつにする求心力も持っており、所属チーム全体のレベルアップにも貢献してくれました」

「こうして本山選手はニッサン不動のエースドライバーとして、そして日本を代表するトップドライバーとして長きに渡り貢献してくれましたことを、本当に感謝します」

「2019年度は引き続き、ニッサンファミリーの一員として、GT500チームのエグゼクティブアドバイザーとして全戦に帯同していただき、松村総監督をはじめとするチームのサポートを担っていただきます」

「サーキットはもちろん、それ以外でも豊富な経験とノウハウを後輩ドライバーやエンジニアたちに伝えてアドバイスしていただき、ニッサンGT-Rのチャンピオン奪還に力を発揮していただきたいと思います」

「最後に改めまして、本山選手の長期間に渡りますGT500でのニッサン/ニスモへの貢献に改めて感謝し、すべてのニッサン/ニスモ関係者を代表しまして御礼申し上げます。本当にありがとうございました」

●星野一義監督

「本当に長い間、お疲れ様でした。僕が歩んできた道をもとに本山くんにアドバイスしてきたのは、速く走るテクニックはあった。そこについて何も教えることはなかったんですが、ニッサンのエースとして戦っていく心構えは、長い人生のなかで言ってきたと思います」

「うちにデザイナーとしての力が足りなかったとき、彼はデザイナー兼ドライバーとして戦ってくれました。日本のモータースポーツではデザイナーに頼ることが多いんですけど、彼が例えば鈴鹿で走ってピットに戻ってくると『バネレートを変えてほしい』とか、『違うセットのダンパーに変えてほしい』とか、いろいろなことをすぐに言ってくれて、一時間でやるべきことが終わる感じでした。技術だけじゃなく、頭の回転も早い」

「これから僕が彼に期待するのはニッサンの(GT500)ドライバーとしての仕事は終わっても、テスト・車両開発にはどんどん先行していってほしい。まだニッサンを背負っていっていただかないと。ニッサン/ニスモのなかで健闘してもらわないと困る。僕は(本山選手が)長谷見さんより器用な人だと思っているからね」

「僕がTEAM IMPUL(の代表)を降りて彼にやってもらおうかなと思うくらいビッグな存在です。本当にお疲れ様でした」

■「ニッサンのいろいろなものを背負って第一線でやってくれました。そのプレッシャーは本人にしかわからない」

●柿元邦彦アンバサダー

「本山くん、長い間ニッサン/ニスモのドライバーとして活躍してくれてありがとう。心から感謝します」

「3年前の今日、この場所で私が総監督から降りる式がありました。その時、本山くんから感謝の言葉と花束をもらいました。それから3年で逆の立場になるとは当時、想像もしていませんでした。私が総監督でタイトルを獲るときにも大活躍していただいて、心から感謝しています」

「本山くんとの思い出で特に記憶に残ってることがふたつあります。ひとつはル・マン24時間。1998年です。当時は参戦するメーカーが多く、本戦に出る前に予備予選がありました。決勝の3週間くらい前ですね」

「そこで本山くんの乗るR390とワークスチームと同じスペックのポルシェが決勝進出をかけた戦いをしたわけです。ル・マンというのは平均時速が230キロ以上と非常に高速で、しかも本山選手ははじめてのル・マンで怖かったと思いますが、それを打ち破って本戦出場を決めたわけです」

「そのル・マンを戦って帰国したあと、フォーミュラニッポンで初優勝して、その年は最終的にチャンピオンになりました。そのあとの活躍はご存知のとおり日本のトップドライバーとして君臨することになりました。本人は認めないかもしれませんが、あのル・マンの予選でみせた走りで彼は一皮むけたと思っております」

「もうひとつ、スーパーGTでは2011年のオートポリス。予選は12番手でしたが、(後半スティントを担当する)ブノワ(トレルイエ)選手に引き継ぐまでに11台抜きをしてトップに上がっていました。ワンスティントで11台抜きという記憶に残る走りは誰も打ち破ることはないと思っています」

「そういうことができるからこそ、今の”帝王”という異名があり、彼を帝王たらしめていると思います」

「今回スーパーGTから降りるということで、彼は高校生のときからカートの選手として欅(優勝の王冠)をもらってトップドライバーとして活躍してきました。そのトップドライバーとしての役割を終えたわけですが、今後の生き方について思い悩むこともあるんじゃないかと思っています」

「私からのアドバイスは、彼のあとに続く後輩たちがたくさんいます。彼ら後輩たちの道が開けるような行動や振る舞いをしていただきたい。それが私からのアドバイス。ありがとう! 帝王・本山!」

●ミハエル・クルム

「初めて僕が本山さんの名前を聞いたのは25年前。トムスからF3に出ていたとき、たまにとんでもないタイムを出すドライバーがいて、それが本山さんでした」

「本山選手のチームメイトとして、クルマをシェアしていたけど、そのクルマがどれだけ速いのか、その指標が目の前にあるのは大きなことでした」

「誰にも真似できない集中力の高さとか、緊張感を相手に感じさせないオーラ、日本一と言われる理由がよくわかりましたね。自分としても彼に負けないパフォーマンスを出さないといけないプレッシャーがありましたけど、成長することもできました」

「MINEサーキットで一番速いのが本山さん。一回トップで戻ってきて、僕も負けまいと気合を入れたらアウトラップでコースアウトして、その翌周にもコースアウトしてね。本当に怒られた(笑)。2位でチェッカーを受けたけど、本当は簡単に勝てたレースだったね。それくらい、本山さんと一緒に走ることはプレッシャーなんです」

「日本のなかだけじゃなく、世界の舞台でも戦う姿を尊敬している。彼のような特別な才能は誰もが欲しがるし、真似できるものじゃない。本当に感謝しています」

●田中利和CVP

「みんなから言い尽くされてしまいましたけど、本山選手、本当にお疲れさま」

「彼と僕の最初の出会いは96年だったと思います。僕は富士スピードウェイでスーパーツーリング(JTCC)のテストをしていて。ザナヴィ・サニーでしたね。僕はスーパーツーリングの監督をしていて、彼がワークスーツを着てトラックから出てきたとき『こんなに若い子か』と思いました」

「テストを始めて、タイム計測していくんですけど、いきなりタイムを出すんです。本当にすごいドライバーが来たんだなと思いました。鳥肌が立ちました」

「その後の活躍はみなさんがご存知のとおり。ニッサンのそうそうたるワークスドライバーたちの後を純粋に追って、ニッサンの看板を背負って23年間、トップで走り続けてきた」

「ニッサンのいろいろなものを背負って第一線でやってくれました。そのプレッシャーは本人にしかわからないと思います」

「GT500については降りるけど、ほかのレースはやりたいと本人も言っているし、ふだん話していても速く走ることに対する情熱と執着心は変わっていない。これはどんな乗り物になっても変わらないので、引き続きそうだろうし、いろいろなレースに出てほしいと思ってます」

「(本山が横にある23号車GT-Rを指して、これに乗りたいとアピールすると)言うと思った。今日くらいは言わないかなと思ったけど、もう言ったね(笑)。本当に長い間、お疲れ様でした。今後もよろしくおねがいします」