韓国野球関係者の尽力で開催されるラオス野球大会 日本人右腕が語る“魅力“

世界5か国から集まったチームが参加した「韓国・ラオス野球大会」【写真:豊川遼】

ラオス野球大会に2度目の参戦となった沖縄在住の安谷屋氏

 東南アジアに位置するラオスで今年1月に行われていた「韓国・ラオス野球大会」。現地での野球認知度を高めると同時に、世界5か国から集まったチーム同士の交流を兼ねて行われた。参加国には日本チームの姿もあった。

 ラオスで本格的に野球が始まったのは2014年から。翌2015年からは現地での野球普及を行う韓国野球関係者の尽力によって「韓国・ラオス野球大会」が開催され、毎年1月に行われている今大会は今年で5回目。1月18日に行われた日本チームの初戦、先発マウンドに立った安谷屋正尚(あだにや・まさなお)氏に話を聞いた。

 安谷屋氏は沖縄県糸満市の出身。3歳上の兄の影響で小学1年から野球を始め、三和ジュニアでは二塁手としてプレー。三和中を経て高校は宮國椋丞投手(巨人)と同じ糸満高に進学し、外野手としてプレーした。本格的に投手に転向したのは琉球大に進学後。エースとして活躍し、現在は沖縄県内の石油会社「(株)りゅうせき」で働きながら週1日のペースで野球を続けている。

 こうして沖縄を拠点に生活している安谷屋氏。これまで友人4人でアメリカ横断を達成するなど海外には興味を持っていたそうだが、なぜ今回の「韓国・ラオス野球大会」への参加を決めたのか。

「沖縄在住の仲座直哉さんからの紹介で参加を決めました。実は昨年もここ(ラオス)でプレーしたので今回が2回目ですね」

 沖縄県では「おきなわ国際協力人材育成事業」という県全体の国際化を担う次世代の人材育成を行っており、ラオスをはじめ東南アジア各国に人材を派遣して国の発展に尽力している。仲座氏は安谷屋氏と同じ糸満高の出身でこれまでラオスにおいて日本語補修授業校にて教員を務め、日本文化の紹介、野球普及活動などを行うなど両国の架け橋として活動してきた人物だ。

「韓国・ラオス野球大会」で日本チームの先発としてマウンドに立った安谷屋正尚氏【写真:豊川遼】

韓国人選手ともプレー「政治的に日本との関係は不安定ですが…ハイタッチでみんなが1つに」

 今大会はラオスの首都・ビエンチャンにあるチャオ・アヌウォン国立競技場(サッカー場)で行われた。マウンドがないため、代わりにとび箱のとび台のような簡易的なものが用意され、日本では考えにくい環境で試合が進行した。大会開始前から1日5試合とハードなスケジュールが予定されていたこともあって、1試合1時間半の時間制で開催された。

 2回目の参加となった安谷屋氏は1月18日の試合に出場するためだけにラオスを訪れた。背番号18のユニフォームを着てマウンドに立つと最速140キロの直球を中心にツーシームやスライダー、カーブなど多彩な球種を駆使して韓国の社会人チーム相手に4回2失点。堂々の投球をみせ、5-2と日本チームの勝利に大きく貢献した。試合後には韓国プロ野球初の3冠王でラオスでの野球普及に尽力する李萬洙(イ・マンス)氏から「ナイスピッチング!」と激励されるなど満足した表情をみせていた。

 ラオスは主に韓国球界関係者の協力によって野球普及を行っていることもあって今大会には多くの韓国人選手が参加した。言葉の壁こそあるが、同じグラウンドに立つとその壁が一瞬にしてなくなる。実際に出場した安谷屋氏に韓国の選手と一緒にプレーして感じたことを聞くと次のような答えが返ってきた。

「韓国といえば政治的に日本との関係は不安定ですが、野球を通じて一緒にプレーしてみるとファインプレーや打者を抑えたときには共にハイタッチをしますし、みんなが1つになります。(参加して)とても楽しかったです。また大会があればぜひ参加したいですね」

 今回のラオスでの野球大会はWBCや世界野球プレミア12のような地位の高い国際試合ではなく、現地で野球認知度を高めることを目的とした交流試合となる。それでも参加した選手たちは勝敗のことは二の次に国籍を越えてただ白球を追っていた。これこそ野球、スポーツの本来の姿なのかもしれない。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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