保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(30) 指導者が兵士に「死」強要しても平気な理由

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逆説的な言い方になるのだが、軍事指導者たちが兵士を自らの命令で平気で死を強要できる心理はどのようにして成り立つのであろうか。むろんこれは不可視のことなのだが、この点を考えなければ戦争の本質は見えてこない。例えば特攻作戦や玉砕などの命令はどのような心理の元で下されるのだろうか。私はこのことについて大本営参謀の何人かに確かめたことがある。

ノンフィクション作家の保阪正康さん

大本営参謀だった瀬島龍三は、「そういう作戦命令を書くときは皮膚が一枚一枚剥がれるような苦しみを味わった」と証言していた。敗戦直後に大本営参謀が自決したケースは大体がこの苦しみからの解放と、責任を痛感してということでもあったように見受けられる。

一方で兵士に戦闘以外での死を強制する軍事指導者は、戦時下ではその命令の示達に特別の感情を持っていないことがわかる。戦時下のある時期に政治、軍事の両面を担った東條英機をみてみると、そのことがよく分かる。1943(昭和18年)の衆議院の特別委員会で、独裁政治ではないかと問われた時に、「そうではない。東條もまた一個の草莽の臣である。あなたがたとひとつも変わらない。ただ私には総理大臣という職責が与えられている。ここが違う。これは陛下の御光を受けて初めて光る。陛下の御光がなかったら石こにも等しいものだ」と答えた後に、「そこがいわゆる独裁者と称するヨーロッパの諸公とは趣をことにしている」と補足した。

東條英機が振りかざした危険な論理

この論理はきわめて危険な論理であった。ここには重大な視点が隠されている。具体的に指摘するなら、自分は天皇から全権を付与されている、だから自分に抗することは許されないとの自負である。逆説的に天皇の意志さえ無視することができることを宣言したと言える。そのことについて東條は理解が及んでいない。自分は天皇の意志に反することはいささかも行なっていないというのが論理矛盾だということを分かっていないといっても良かった。天皇はすべてのことに意思表示するわけではないのだから、あまりにも雑駁な認識であった。

東條はどれほど戦死者が出ようとそれは天皇の意志で続いている戦争であり、勝つまで続けるのが天皇の意志だと思い込んでいたのである。その方が都合がいいからだ。

今では明らかになっているが、天皇は3年8か月続いた太平洋戦争の間、その心中は常に自省、懊悩、困惑の中にいた。戦争という手段を選択したことに苦しんでいたのである。東條はそのような苦しみを全く理解していなかった。このことは何を物語るのか。答えはひとつである。次のように言っていい。

【東條に代表される戦時指導者たちは、自分たちの心理的負担になる作戦命令の非人間的側面から逃れるために立憲君主制の立場をとる天皇を利用した】

このことが太平洋戦争の不可視の部分の中心軸であった。この当たり前のことを私たちは、理解すべきである。

あんな組織になるまでの「5つの仮説」

軍事指導者が考えている天皇への忠誠は、自分たちが忠誠だと思っていることが、すなわち忠誠だというのだから独善もはなはだしい。この独善をファシズムというわけだが、そのこと自体に気づいていない。兵士の死に人間としての痛みなど感じないからこそ指導者足り得るのであろう。

昭和陸軍や海軍はどうしてこのような組織になったのだろうか。いくつかの仮説が成り立つように思う。私は5つ仮説を持つのである。以下に箇条書きにする。

(1)理にかなった学問を体系だって積んでいない。
(2)他国の政治指導者と正式会談を行ったことがない。
(3)幅広い読書をした体験を持っていない。
(4)他者との人生観の伴う対談をしたことがない。
(5)外国を個人の目で見聞したことがない。

これらの条件のもとで育てば、どんな人間になるか容易に想像できる。つまりまったく偏頗な人間が出来上がるような組織が近代日本の軍事教育だったのである。教育カリキュラムを整理、再編成する前に次から次へと戦争を進めたので、とにかく現場での速攻的な教育によって、形式だけの軍人が育ったのであった。この点が日本の軍事組織の最大の欠落であった。それは取りも直さず資質なき指導者が前面に出てくる弱点を抱えこんでいたことになった。(第31回に続く)


プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。