みんなを笑顔にしたい 陸上短距離 永田駿斗 長崎国体世代の現在地(1)

 昨秋の日本学生陸上対校選手権(インカレ)男子100メートル決勝。スタートラインに立った永田駿斗の脳裏に、これまで支えてくれた人たちの顔が浮かんだ。「結果を出せたら、みんな喜んでくれるよね」。心地よい緊張の中、序盤から先行して、そのままトップゴール。「1年前は僕が勝つなんて誰も思っていなかったはず。でも、僕は絶対に勝つと思ってやってきた」。大学4年間で初めて、心からのガッツポーズが出た。

■再び頂点へ
 大学の4年間は苦い思い出の方が多かった。小学生のころから全国の舞台で活躍して、中学、高校で3度の日本一に輝いたのに、予選すら通れない。「こんなもんじゃない」。自らを奮い立たせながら、練習に向かう日々が続いた。
 3年になったころ。徐々に努力の成果が表れてきた。後に日本代表となる同学年の多田修平(関学大)の存在にも刺激され、その夏、3年ぶりに100メートルの自己ベストを更新。課題を掘り下げて一つ一つ改善する「考える力」が、受け身だった自分の壁を越え始めた。新チームの主将を任された秋には、100人超の部員の前で「もう一度、日本一になりたい。そのための練習をやっていくから、みんな見ていてほしい」と宣言。退路を断って前だけを見据えた。
 それから1年後、自身最後の日本インカレ。準決勝を自己ベストの10秒31でトップ通過すると、決勝も多田を抑えてゴールラインを駆け抜けた。有言実行の日本一。仲間たちも涙と笑顔で喜んでくれた。多くの人たちに結果で感謝を伝えることができた。

■価値を提供
 春から実業団の住友電工に進む。「走って給料をもらう以上、世の中に価値を提供できないと、やっている意味がない」。慶大の先輩でジャカルタ・アジア大会100メートル銅メダリストの山県亮太(セイコー)からもらった言葉を胸に、また、前へ進んでいく。
 その最初のステップが来年の東京五輪。社会人1年目から、リレーの補欠でもいいから日本代表入りに照準を合わせる。大学時代は苦しい時期を乗り越え、いい終わり方をできた。次のステージもやれる、と自分で自分に期待している。
 モチベーションがある。みんなの喜ぶ顔だ。2014年長崎国体は4位だったが、あんなに温かく応援してもらえた。「大きなレースに出て長崎にいい報告がしたい」。だから、走り続ける。たくさんの笑顔を思い浮かべながら。

昨年9月の日本学生対校選手権。男子100メートルで初優勝してガッツポーズする永田=川崎市等々力陸上競技場

 【略歴】ながた・しゅんと(諫早高―慶大―住友電工)
 大村市出身。三浦小4年から諫早市のSIクラブで陸上を始めた。玖島中3年で100メートルの全国2冠を達成。諫早高1年で岐阜国体少年B200メートルを制した。2年時に世界ユース選手権で日本代表を経験。慶大4年で100メートルの学生王者に輝いた。国体の成年100メートルは8、7位と2年連続入賞中。好きな食べ物は母の唐揚げ。自己ベストは100メートル10秒31、200メートル20秒86で、ともに県記録。174センチ、67キロ。1996年4月3日生まれ。

◎回顧録 2014長崎国体 悔しくて幸せな10秒
 “長崎国体世代”のエースとして、誰よりも期待されてきた永田駿斗。重圧の中、少年男子A100メートル決勝に臨み、10秒58で4位入賞した。だが、残ったのは悔しさだけ。夏の南関東インターハイからは一つ順位を上げたものの「優勝以外は負け。地元で勝つことに意味があると思ってずっとやってきた」。ただ、会場に響き渡る自らへの歓声と拍手の中のレースは「幸せな10秒だった」。長崎への感謝がより大きくなった。

少年男子A100メートルの表彰後、観客席からの声援に笑顔で応える永田=諫早市、県立総合運動公園陸上競技場

© 株式会社長崎新聞社