いつまでも「壁の途中」 スポーツクライミング 原田朝美 長崎国体世代の現在地(4)

 昨秋の福井国体スポーツクライミング成年女子ボルダリング。原田朝美は二学年下の大河内芹香(西九州大)と組み、五輪強化選手を抑えて初優勝を飾った。「うれしくて涙が出た」。高校3年で臨んだ長崎国体から順位も二つ上げた。ただ、やはり「満足はしなかった」。登り終えた時の思いは“あの日”と同じだった。
 2014年の秋。地元の大歓声に押し上げられるように、少年女子でボルダリング3位、リード5位の国体自己最高成績を達成。でも、満足していない自分がいた。徐々に湧いてきたのは「日本代表になりたい」という思い。当時、ゴールと捉えていた長崎国体の舞台で、自分がまだ「壁の途中」にいると気づかされた。

■自覚と覚悟
 高校卒業後も地元を練習拠点にしたくて、長崎国際大に進学。スポーツ科学を専攻した。高校時代に比べて練習時間は減ったが、その分「効率的な強化」を意識。「ここの筋肉の動きが悪いな」と感じると、大学で得た知識から、適切なトレーニングを取り入れた。
 試行錯誤を重ねながら力をつけ、17年自国開催のボルダリングワールドカップ(W杯)代表選考を兼ねた大会に挑戦。“フル”代表には届かなかったものの、18位に入って開催国枠をつかんだ。だが、本番は最低目標の準決勝進出すら逃す「撃沈」。失意の中で決勝の舞台を見上げた。
 そこにあったのは、自国開催の期待を背に躍動する日本人選手の姿。同じ日の丸をつける自分との差を痛感した。「出場権を取って満足していた。目指すのは枠じゃなく、あの姿だ」。歓声を力に変え、ひたすらに上を目指す姿は、長崎国体の時の自分と重なった。
 それからは「世界で通用する選手」を目指して再スタート。「今度は代表として恥じない登りをしたい」。日の丸を背負う自覚と覚悟が、新たなモチベーションになった。

■決意の手術
 春からは地元企業のチョープロに入社し、働きながら競技を続ける。さらなる高みに挑戦するため、今年1月、昨季から痛めていた右肩腱(けん)板の手術に踏み切った。この1年は実戦から離れる予定だ。競技歴12年で初の長期療養に不安はある。主治医からは「術後、元の競技力には戻らない」とも言われたが、元に戻して今より強くなる自信の方がもっとある。
 いつだって、根底にある気持ちは変わらない。「登り切った時より、登っている時が楽しい。だから、競技を続ける限りは常に壁の途中でいたい」。そう考えると、今の状況もある意味、楽しい。足場を整え終えた時、22歳のクライマーは世界の舞台へ再び手を伸ばす。(藤井美和子)

2018年10月の福井国体。成年女子ボルダリングで長崎チームの初優勝に貢献した原田=福井県池田町特設会場

 【略歴】はらだ・あさみ(大村高―長崎国際大―チョープロ)
 東彼東彼杵町出身。千綿小4年時にクライミングの体験会に参加し、長崎リトルクライマーズに入った。千綿中から大村高に進み、国体は2012年岐阜大会を皮切りに毎年入賞。長崎国際大進学後の15年にJOCジュニアオリンピックカップのリード女子で初の日本一に輝き、18年の福井国体成年女子ボルダリングで大河内芹香(西九州大)とペアを組み、頂点に立った。みたらし団子が好き。154センチ。1996年8月2日生まれ。

◎回顧録 2014長崎国体/重みを感じたトーチ

 総合開会式で炬火(きょか)点火者を務めた原田朝美。前走者から受け取ったトーチは「緊張で重く感じた」。点火とともに湧き上がる歓声に「期待されているんだ」と実感。県代表として自らを奮い立たせた。本番は地元の応援を力に変え、ボルダリング3位、リード5位の自身最高成績を残した。「クライミングは1人で登るだけのスポーツじゃない」と競技の魅力も再発見。「この競技で世界の舞台に立ちたい」と日本代表を目指す決意をした。

総合開会式で最終炬火走者を務めた原田=諫早市、県立総合運動公園陸上競技場

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