挑戦なくして成長なし ラグビー 朝長駿 長崎国体世代の現在地(5)

 「帝京を倒して日本一を取りたい」
 大学ラグビー界の王者に勝つことを夢見て、明大に進んでから4年後の1月12日、大学選手権決勝。明大は天理大に22-17で競り勝ち、22年ぶり13度目の大学日本一に返り咲いた。その歓喜のノーサイドを、朝長駿は伝統の紫紺のジャージーを着てグラウンドの中で迎えた。「もう、鳥肌が立つというか…。ラグビー人生の中で一番うれしかった瞬間だった」

■意識の変化
 大学入学当初は「いろんなことで圧倒された」。身長181センチ、体重85キロだった高校時代、FWのエースポジションであるナンバー8として、何度も相手防御網を切り裂いてきたが、先輩たちはそんなレベルではなかった。「正直、1~2年は下積み時代にして、体とかコンディションをつくろうと思っていた」。レギュラーになるという意識は持っていなかった。
 変化が起こり始めたのは2年の終わりごろ。それまでは豪快な突進など“派手なプレー”が持ち味で、低いタックル、密集でボールを奪い合うブレークダウンで体を張るような「下働きは好きではなかった」。
 だが、特に誰から言われたわけではないが、自らの中で意識が変わりだした。考え抜いて一つの結論を導き出した。「アタックが好きなやつはたくさんいる。自分は今、チームに必要とされていることをやろう」
 そのために、まずは生活面から見直してみた。机の周りを整理整頓する、どんなにきつくても授業をしっかり受ける。「当たり前のことを当たり前にやる」を徹底するようにした。

■自らの役割
 それからはプレースタイルが大きく変わった。体重も増やして当たり負けもしなくなった。タックルされて倒れた直後の相手からボールを奪い取る「ジャッカル」で、ピンチをチャンスに変え続けた。結果、仲間や首脳陣の信頼も自然と厚くなり、3年のシーズン後半からはFW第3列のレギュラーに定着。昨年4月の関東大学春季大会の帝京戦では、ノーサイド直前に逆転トライを決めた。
 大学最後のシーズンとなった昨年11月の慶大戦で左膝の内側靱帯(じんたい)を損傷。終盤戦は後半途中からの出場が多くなったが、自らの役割をやり通した。「スタメンで出られない悔しさ」はあったが、最高の結果を出して大学ラグビーを終えた。
 卒業後はトップリーグの中位レベルに位置する日野で再び楕円(だえん)球を追う。志は高く「日野を自分のプレーで日本一にしたい」だ。信念である「挑戦しなければ成長はない」を胸に“下働き”が持ち味となった21歳は、チームのために体を張り続ける。(城知哲)

2018年11月の関東大学対抗戦、慶大戦の前に校歌を歌う朝長。明大の日本一に貢献した=東京・秩父宮ラグビー場

 【略歴】ともなが・しゅん(長崎北陽台高-明大-日野)
 長崎市出身。深堀中からばってんヤングラガーズで競技を始め、長崎北陽台高3年で全国高校大会(花園)に出場。2回戦でBシードの春日丘高(愛知)に敗れたが、FWの中心選手としてチームをけん引した。2014年南京ユース五輪7人制日本代表。明大進学後は3年の秋シーズンから頭角を現し、伝統の早明戦で初めてスタメン出場すると、その後は第3列でレギュラーに定着した。181センチ、98キロ。1997年2月14日生まれ。

◎回顧録 2014長崎国体/スタイル確立の原点

 実は地元国体に、あまりいい思い出は残っていない。38-12で快勝した1回戦の石川戦、15-17で敗れた準々決勝の大阪戦は後半からの出場。神奈川との5位決定戦はスタメンで21-17の勝利に貢献したが「何で出してくれないんだ」という思いが強かった。だが、今はそれを「当然かな」と受け止めている。「自分勝手なプレーをしていた。下働きをしていなかった」。地元の大舞台で知った悔しさは、現在のスタイルを確立する上での原点になった。

神奈川との5位決定戦で突進する朝長=長崎市総合運動公園かきどまり陸上競技場

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