90歳の修道士、被爆者 ブログ発信10年 諫早の小崎登明さん 自らの終末つづる心境

 「終末をつづる心境」-。長崎の被爆者でカトリック修道士の小崎登明さん(90)=本名・田川幸一=は2009年4月から毎日、日々の出来事や人生への思いなどをインターネットのブログで発信し、もうすぐ丸10年となる。5年前から長崎県諫早市高来町の養護老人ホームで暮らし、近況を伝えるブログは古い知人に加え、口コミで広がり、新しい交流も生んでいる。

 小さな部屋の窓辺に置かれたノートパソコン。座椅子に座った小崎さんがキーボードを打つ音が響く。内容は、誕生会などのホーム行事や外出、死別した家族への思慕、ポーランド出身の修道者らとの思い出など幅広い。

 「ホームの暮らしで特別なことは起きないから、ブログの題材を探すことが一日の課題。そこに、からしの効いた言葉を振りかけられたら満足」。昼食後、少し昼寝をしてからパソコンを開き、午後4時ごろまでに書き終えるのが日課だ。

 北朝鮮で生まれ、父親を亡くした後の1941年に帰国。17歳の時、長崎で原爆に遭い、母親を亡くした。長崎市の聖母の騎士修道院に身を寄せ、月刊誌「聖母の騎士」の編集を担当。聖コルベ記念館などで被爆体験を語ってきた。

 ブログを始めたのは近況報告もあるが、「自身の弱さも含めて、飾らずにさらけ出せる」から。「でも、自分の思ったことをすべて書くのは難しいし、責任もある」と話す一方、「手あかのついていない言葉」を探し求める。はがき大の紙に心に浮かんだ言葉を書き留めてきた。

 「悪いことが起こってもいいことがついてくる」「長い人生 人間は完全ではない」-。分厚く束になった紙には、人の心を癒やし、勇気付ける言葉があふれる。1日150~200のアクセス数をキープする人気。「90歳になり、言葉の切れ味やひらめきが減った」。迫る老いを冷静に見つめる。

 年明け早々、肺炎をこじらせて緊急入院。アクセス数が600以上に跳ね上がった。「今度はやばいぞ、と正直思った」-。集中治療室(ICU)にいた数日間、“代役がブログで”病状を伝え、コメント欄は回復を祈る声であふれた。

 2週間後、退院。ホームの日常に戻った。「どこのだれが読んでいるのか分からないけど、書ける限り、今の調子で続ける」。91回目の誕生日を迎える3月1日、ブログ名は「小崎登明の91歳日記」に変わる。アドレス(http://tomaozaki.blogspot.jp/)は同じ。

「この年でブログを書くのは珍しいのかな」と話しながらキーボードを打つ小崎さん=長崎県諫早市

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