病、挫折乗り越え再出発 長崎の浜田和浩選手(三菱重工長崎造船所) 実業団引退、市民ランナーに チームの3位発進に貢献

 第68回郡市対抗県下一周駅伝大会第1日の15日。2年前、強豪実業団のMHPSを辞めながら、今も市民ランナーとして走り続けている浜田和浩選手(22)=三菱重工長崎造船所=は、アンカーとして長崎チームの3位発進に貢献した。「いつか昔の仲間と肩を並べられるようになりたい」。県下一周は自らを取り戻すための再出発の舞台になった。

 元日、全日本実業団対抗駅伝のテレビ中継。MHPSがゴール前で激しい首位争いを繰り広げる様子を、複雑な思いで見た。「本当ならこの中にいたはずなのに…、俺は道半ばで諦めてしまった」

 瓊浦高時代に3000メートル障害で九州大会を制した逸材。女手一つで育ててくれた母親を思い、卒業後は大学ではなく、熱心に誘ってくれた地元実業団のMHPSに入った。マラソンの井上大仁選手(26)とは同期入社。「いつか彼に追いつく」。そう意気込んでいたころ、異変は起きた。

 練習後、トイレに行くと尿が赤黒く染まっていた。体もだるい。病院で「横紋筋融解症」という聞き慣れない病名を告げられた。筋肉の破壊に伴う血尿が主な症状。進行すれば腎不全の危険もあると言われた。

 その後は体調と相談しながら練習を続けたが、万全の状態に戻らなかった。チームメートは着実に力をつけ、自分だけ取り残された気がした。「もう辞めたいです」。黒木純監督(47)は何度も励ましてくれたが、モチベーションを保てなかった。2年目の秋、退部を申し出た。

 当時は20歳。辞めてはみたが、やはり、走らずにいられない自分がいた。実家に帰り、慣れ親しんだ地元で小学生の指導をしていると、不思議と体調も良くなってきた。

 それでも、挫折した過去は消えない。かつての仲間たちが活躍するたびに胸が痛んだ。「吹っ切るためには、みんなに認めてもらえるような結果を出すしかない」。MHPSの選手も出場する県下一周駅伝は格好のレースだった。

 この日走った11区はアップダウンが激しい15.8キロ。冷たい雨の中、懸命に前を追った。集団から離れ始めても「もう自分に負けない」と歯を食いしばった。結果は区間4位。全盛期からは程遠い走りだったが「今の力は出し切った」。久しぶりに味わった充実感。“最強の市民ランナー”へ向けて、挫折を経験した22歳は確かな一歩を踏み出した。

長崎のアンカーを務めた浜田(三菱重工長崎造船所)。挫折した過去をぬぐい去ろうと、走り続けている=松浦市

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