晩年を横須賀市で過ごした坂本龍馬の妻・おりょうが暮らしたとされる場所に案内板を建てようと、地元の歴史サークル「湘南海援隊」が署名活動を始めた。サークルによると、居住地は市内に4カ所あるが、2カ所には記念碑や案内板などがない。メンバーらは「おりょうの歴史を市民らに知ってもらい、龍馬ファンも足を運ぶ場所にしたい」と話している。
おりょうは龍馬の死後、各地を転々とし、やがて横須賀に移って「西村ツル」として再婚。今は信楽寺(同市大津町)に眠っている。
サークルメンバーで古書を基に調べた吉田直弘さん(79)によると、1874(明治7)年から1906(明治39)年にかけ、おりょうは(1)大津町(2)深田台(3)上町(4)米が浜通-の市内4カ所で暮らした。
最初に過ごした(1)は今の市立根岸小学校近くで、最期を迎えた(4)には現在、葬儀場「おりょう会館」が立ち、どちらにも記念碑や案内板がある。一方で、長く暮らした(2)と(3)にはマンションなどが立ち並び、おりょうをしのぶものはない。
吉田さんらは昨年、おりょうの生涯をまとめた著書を出版。その中で4カ所についても触れたが、本を手に足を運んだ読者から「どこにあるのか、分からなかった」「何もないのは寂しい」との意見が寄せられた。
そこで、サークルは案内板を設置するよう、市に働き掛けるため、署名を集めることにした。1千筆を当初の目標に、地元住民や歴史ファンらに声を掛け、要望書とともに市に提出する考えだ。吉田さんらは「東京五輪で関東に多くの観光客が押し寄せる2020年までには設置したい」と話している。問い合わせは、サークルの齋藤秀一さん電話046(825)8727。