2月から早大野球部コーチ、4月からは大学院生としてマネジメントを学ぶ
ヤクルト、DeNAでプレーし、昨季限りで現役を引退した田中浩康氏が新たな野球人生をスタートさせた。14年間の現役生活に幕を下ろし、2月6日から母校・早稲田大学の硬式野球部のコーチに就任。指導者として勉強しながら、様々なことに挑戦していく。二塁手でベストナイン2回、ゴールデングラブ賞に1回を獲得した名プレーヤーは今後、どのような道に進んでいくのか、話を聞いた。
次第に熱を帯びていった。東京・東伏見の早大硬式野球部の安部球場。ある日の最後のメニュー、走塁練習の時だった。田中コーチは選手たちを二塁ベース上に集め、声をかけ、身振り手振りで指導をした。そして、リードからスタートを切る動作を自ら繰り返し、実践してみせた。低い姿勢から、走り出す時、大学生に負けないキレの良さがあった。
「まだ(現役を)終えたばかりですからね。ただ、これからも健康ではいたいですよね」
少しだけ笑みを浮かべていた。田中コーチの動きに、プロの技術を見た気がした。
早稲田大は元ロッテ、大リーグで活躍した小宮山悟氏が昨年9月に監督に就任。そしてコーチとして田中浩康氏がやってきた。大学生にとってみたら、昨年までプロ野球の世界で戦っていた選手が目の前にいる。こんなに大きなことはない。だが、田中コーチは足元を見つめる。
「元プロの方はたくさんいますから」
多くを語らなかったが、「元プロ野球選手」という肩書を振り回して、指導していくつもりはないと、表情は言っているようだった。
現役を引退し、いろんなことを勉強したいと、野球解説、野球振興、SNS、有料記事の執筆にチャレンジをしている。そして、2月からは母校の野球部の指導者、4月からはスポーツマネジメントを学ぶため、大学院生になるという。
「小宮山監督から指導するチャンス、お話をいただきました。選手をやってきたので、その経験を生かしたいという気持ちはありました。指導者としての勉強をしたいという自分の気持ちも重なって、覚悟を決めて、(コーチを)お受けすることにしました。大学院も”勉強“です」
田中コーチは「覚悟」という言葉を使い、責任の大きさを感じていた。昨今の大学スポーツ界では指導者の質が問われている。自身も学生時代、プロでもたくさんの指導者に巡り合ってきた。その出会いによって、選手の人生は左右する。熟考し、悩み、引き受けることにした。
「学生と同じ目線でいたい」指導者になってわかったこと
コーチになって、約2週間が経過した。
「一部、二部練習と分かれて、みんなで練習しています。指導者は朝から晩まで、練習を見ていますので、当時の監督は大変な思いというか、一日中、学生に付き合ってくれていたんだなと、感じていますね」
コーチにならなかったら、たどりつかなかった境地だったかもしれない。全体練習が終わると、選手の方から田中コーチに話かけてきたり、田中コーチからも軽く声をかけるシーンもあった。会話のキャッチボールがテンポよくされ、コミュニケーションをとっている印象だった。
「学生に近い目線で立てればいいなとは思います。もし、何か質問があったら、『いつでも来て』とは言っています。限られた時間なので、その間に学生に少しでも伝えられたら……」
自室に戻り、風呂に入っていると、学生のことを思い出すこともある。
「アイツに『これを言いたいな』とか、『明日、伝えてみよう』とか、伝え方のニュアンスをどうするかとか、考える時はありますね。何か聞かれたときにこたえられる準備はしておきたいです」
まだ手探りの状態ではあるが、一日一日過ごしながら、経験を積んでいる。元プロ野球選手ということで注目されるが、田中コーチは、選手たちと「同じ目線」で「勉強する」というスタンスは崩すことはない。コーチ業に限ったことではなく、SNSの情報発信も、思いをつづる記事の執筆、野球振興、大学院生活も同じだ。
引退後の“その後”は野球選手にとっては不安なことだ。ただ、田中コーチは前向きに、まずは物事、事象をしっかりと捉え、挑戦する心を忘れない。打席でも大切だった「覚悟」と「スタンス」をこれからも大事に考え、新たな道へと進んでいく。
プロフィール
田中浩康(たなか・ひろやす) 1982年5月24日生。36歳。尽誠学園(香川)から早大を経て、05年にドラフト自由枠でヤクルト入団。粘り強い打撃と堅実な守備で活躍した。16年オフに戦力外通告を受けてDeNAに入団。二塁手でベストナイン2回、ゴールデングラブ賞に1回。通算302犠打は歴代5位。noteで有料マガジン「セカンド・ライフ」を執筆中。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)