季節の境目

 春の息吹を感じるのは少し先かと思っていたら、ふと春の足音を耳にする。ここ数日のうちにフキノトウが地上に頭をのぞかせていると、長らく家庭菜園をしている近親者に聞いた▲見に行けば、うろこのような幾重もの葉に、若い花茎が包まれている。冬の終わりと、春の初め。今がちょうど、その境目の頃だと、柔らかな花茎は告げている▲おとといの本紙にも、季節の境目を見つけた。県内の高校で最も早い卒業式が、長崎市の活水高であったと報じている。冬はもう出口まで来ていて、そろそろ別れの春、門出の季節に移っていく▲写真の中で、襟のあたりに花のリボンを付けた卒業生のうちの一人が、指で涙を拭っている。「多くの出会いとかけがえのない思い出を胸に羽ばたいていきます」と卒業生代表は述べた。若く、柔らかなつぼみはこれから、日ごと膨らむだろう▲〈一月往(い)ぬ、二月逃げる〉。月々の名の頭に韻を踏んで、昔の人は冬から春先にかけて流れる時間の速さを表した。境目の時期から「春めく」までの時間もまた、駆け足で過ぎていく。言い習わしはさらに〈三月去る〉と続く▲春近しと告げるフキノトウは、ほろ苦い味がする。お別れの日、旅立ちの日が急ぎ足で来るこの時節、振り返り、かみしめる来し方はどんな風味を伴うだろう。(徹)

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