本質を見ない捜査と報道 虐待と一体化したDV 野田市小4女児死亡

By 佐々木央

亡くなった栗原心愛さんの自宅前に手向けられた花束

 2月14日夜、東京・永田町の衆院第2議員会館の会議室で「千葉県野田市DV・虐待事件緊急院内集会」が開かれた。

 主催者の問題意識は、集会タイトルに端的に示されていた。メディアによるこの事件の呼び方は、「野田市」「虐待死」「小4女児」を組み合わせているが、集会は「DV」を掲げ、しかもそれを「虐待」より先に標記している。事件の本質には、虐待と並んで、あるいは虐待に先立ってDVがある。

 支援がなかったら死んでいた

 冒頭の発言は、DV被害者を支援しているNPO法人「女性ネットSaya-Saya」代表の松本和子さん。

 「多くの虐待死の背後にはDVがある。もしDV支援が徹底していたらかなりの虐待死は防げる」と述べ、支援した母子が8年たって訪ねてきたエピソードを紹介した。

 当時、小1の女児は中学生に。彼女は「おかげさまで、今生きてます。あのときがなかったら死んでました」と話したという。

 8年前、地方でシンポジウムを開いた時に彼女の母親が相談に来た。離婚した元夫が家に入り込んできて、再度、暴力にさらされているという。危険な状態だと判断した松本さんたちは、すぐに遠隔地のシェルターに避難させた。この母子は支援につながれたから助かったが、そうでなければどうなっていたか。

 戒能民江・お茶の水女子大名誉教授も、DVと虐待は一体化して起きるとの認識に立ち「それに合わせた法制度ができていない。司法の運用もそういう視点から判断できていない。関係機関の連携も悪い」と指摘した。

 DVと虐待に詳しい斉藤秀樹弁護士は、両者の本質を「支配とコントール」であり、暴力は支配の手段の一つにすぎないと解説した。そのうえで「この事件の母親は野田市に転居する前の沖縄県糸満市にいた時から、長期間にわたって支配されコントロールされてきた。母親にできることは限られていたのではないか」との見方を示した。

 お前は無能だ、何もできないバカだ

 集会で得た知見をたよりに、DVをキーワードにして、事件を読み直したい。

 一家が糸満市に住んでいた2017年7月、母親の親族が市にDVと虐待を通報している。共同通信の報道によれば、夫から妻へのDVとしては「携帯の履歴やメールをチェックし、削除する」「行動の監視、確認」「実家や友人との交流を禁じる」という内容だ。事実だとすれば、既にこの夫婦は、対等どころか、人間同士の関係とも呼べない状態に陥っていたことがわかる。

 他者とのコミュニケーションや交流を阻害されないこと、行動を監視されたり、いちいち報告させられたりしないことは、人が自立した個として生きるうえで、基礎となる権利だ。その自由が誰かに著しく制限されるなら、その人は支配され、道具のように扱われていることになる。

 普通は「耐えられない」「そういう関係は願い下げだ」と感じるはずだ。この時点では妻も理不尽だと思っていたのだろう。だからこそ、自分の置かれている状況を親族に漏らしたのだと推測する。

 そうだとすれば、夫の禁止や制限に対する妻の“違反”もあっただろう。それが発覚したときには、制裁も加えられたはずだ。

 朝日新聞によれば、DV通報の内容として「殴る、たたくといった暴行や『お前は無能だ。何もできないバカだ』との暴言」も含まれていた。

 暴行を裏付ける“証言”も存在する。ほかならぬ娘、心愛さんの言葉だ。転居先の野田市の小学校で、自分の虐待被害について担任に聞き取りを受けたとき「沖縄ではお母さんがやられていた」と話している。

記者会見で謝罪する野田市の鈴木有市長(左から2人目)ら=31日午後、千葉県野田市

 逃れる力すら失う学習性無力感

 だが、主訴であった「妻へのDV」に、糸満市は対応できなかった。一家は野田市に転居し、今度は心愛さんへの虐待が問題になる。DVは後景に退く。

 千葉県の柏児童相談所は心愛さんを一時保護した後、両親と面接した。母親はDVが「ないわけではない」と漏らしたが、具体的な内容は口にしなかったという。女性相談の窓口も含め、何らの対応もなされなかった。DVから救う最後のチャンスだったが、縦割り行政の狭間に落ちてしまう。

 これ以降、DVは見えなくなる。だが、それはDVが終わったことを意味しない。斉藤弁護士の指摘によれば、身体的暴力は支配のために必須ではない。確かに、叱責や賞罰、屈辱や条件付きの愛情を与えるといった方法でも、尊厳を損ない、支配することができる。

 院内集会では「学習性無力感」という言葉も紹介された。長期にわたってストレスから回避困難な状況に置かれた人間は、逃れようとする努力すら行わなくなる。

 夫による妻の支配は完了していたのだ。だから目に見える暴力は必要なくなった。

 目に見えないDV、訴えのない虐待は、認識されにくい。知る人のいない野田市に転居したことは、妻の孤立をますます深め、誰にも打ち明けられない状態に追い込んだだろう。「先生どうにかなりませんか」と訴えた心愛さんもまた、そのアンケートを父親に渡されてしまい、心を閉ざした。

 切片では見えない全景

 母と娘は、密室のDVと虐待から脱出できなくなった。

 夫は妻からまともな思考力や判断力を奪い、娘への虐待を傍観させた。娘には身体的虐待を重ね、決定的かつ最終的な支配として、死をもたらした。

 そうだとすれば、犯罪事実だけを切り出して責任を追及する捜査や司法が、この事件に対して自ずから限界を持つことは明らかだろう。最初の逮捕容疑は娘の死の場面、再逮捕容疑は重い傷害を負わせたことを罪に問おうとするものだ。だが幾つかの切片を寄せ集めても、事件の全体を見ることはできない。

 DVと虐待によって支配した者と、支配された者がいた。その終着点に心愛さんの死がある。数々の過誤を重ね、救えなかったのは、私たち社会の側だ。

 遅きに失したが、それでも重ねて、母と残された幼子の保護を求めたい。(47ニュース編集部、共同通信編集委員・佐々木央)

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