「書籍を入れたかごを背負って全国を売り歩く『本の行商人』を輩出してきた村がイタリアにあるらしいですよ。ダンテやヘミングウェーゆかりの地でもあるそうで、その歴史をまとめた本を日本の出版社が出しています」
知人から、筆者のところに連絡が来たのは2018年の秋のことだった。
その本は、書店員が選ぶ本屋大賞とヤフーニュースが連携し、新たに創設した「ノンフィクション本大賞」の候補作にもなっているという。ただ当の知人はこの賞の仕掛け人でもある。最初は「賞の売り込みかな」ぐらいに思いながら話を聞いていたが、本の著者が内田洋子さん(59)だと知り、にわかに興味が湧いた。
人と人を本がつなぎ、賞が賞を呼ぶ不思議な縁を感じた取材の始まりだった。(共同通信ローマ支局=津村一史)
▽引力に導かれ
内田さんといえば、「ミラノの太陽、シチリアの月」(小学館)などイタリアに関する著作を数多く世に送り出してきたジャーナリスト。同国在住歴が長く、通信社ウーノ・アソシエイツの代表を務める、筆者にとって大先輩とも言える人だ。「ジーノの家」(文芸春秋)では、日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞した名エッセイストでもある。
知人が薦めてきた本のタイトルは「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」(方丈社)。早速、日本から取り寄せて読んでみた。
イタリア北部ベネチアで、内田さんが古書店店主と知り合うところから話は始まる。その店主の先祖は代々、モンテレッジォという村から各地に出向いて古本を売って生計を立てていたという。強い関心を抱いた内田さんは現地に足しげく通い、イタリア人にもよく知られていなかった歴史をひもとき本にまとめた。
「不思議な引力に導かれているような感覚があった。まるで本が本を連れてきたみたいだ」。内田さんはモンテレッジォにまつわる取材をこう振り返る。出版後にも同書をきっかけにさまざまな動きが出てきたと聞き、筆者は後日談も含めた全容を調べるため、ともかく村に行ってみることにした。
▽大人になっても
温暖な地中海性気候で知られるローマも厳しく冷え込んできた18年11月末、自宅を早朝に出発しモンテレッジォを目指した。車を北に向かって4時間以上走らせ、村に一番近い高速道路の降り口で、事前に連絡を取っていた案内人のジャコモ・マウッチさん(55)と合流した。内田さんの著書にも登場するジャコモさんはモンテレッジォの出身で、海軍で働く一方、地元の文化振興を促進する活動もしているという。仕事を休んで案内役を買って出てくれたのだ。
さらに山奥へと車を走らせ、ジャコモさんが最初に連れて行ってくれたのはモンテレッジォではなく、近隣の村々の子供たちが通うガランティ小学校だった。校舎の2階に上り教室に入ると、20人余りの児童たちが少し恥ずかしそうにしながらも笑顔で迎えてくれた。
この学校では内田さんの取材を受けたことを機に、子供たち自身が周りの大人から話を聞き、村の歴史を調べる授業を開始。成果を70点余りの絵と共に「かごの中の本」という文集にして自費出版したところ、これがイタリアの国際文学テザウルスコンクール「未来への才能」部門の最優秀賞に輝いた。
文集作成に参加した1人、ミケーレ・バルダッサーレ君(10)は「村のことは隅から隅まで歩いて知ってるつもりだったけど、日本の人も興味を持つほど重要な歴史があるとは思ってもいなかった」と話した。皆、誇らしげな表情で賞の金色のメダルと文集を見せてくれる。
それを温かく見守りながら、ジャコモさんは「子供たちに、自分は素晴らしいプロジェクトに参加したんだという経験をさせたかった。宝物のような思い出が、大人になってからも大きな励みになると思う」と喜んだ。
▽小さなライバル
内田さんの著書は、冒頭に書いた「ノンフィクション本大賞」の受賞は惜しくも逃したものの、さらなる〝本の連鎖〟〝賞の連鎖〟は続いた。日本に「本屋大賞」があるように、実はイタリアにも全国の書店員が選ぶ、「元祖本屋大賞」ともいえるものがある。
イタリアの最も由緒ある文学賞の一つ「露天商賞」で、第1回はノーベル文学賞に選ばれる前のヘミングウェーが「老人と海」で1953年に受賞した。しかも創設したのはモンテレッジォの行商人らだ。発祥の地である村周辺の山道にはヘミングウェーの写真付きで「露天商賞」の看板が掲げられている。
同賞の事務局は当初、子供たちの「かごの中の本」は商業出版されたものではないとの理由から選考対象外としていたが、19年2月になって一転、この文集に「審査員特別賞」を贈ることを決めた。
内田さんは内容が評価されての受賞だと分析、「限界集落では将来の夢を描きにくいし萎縮しがち。そんな地域の子供たちが自発的に本を出そうと言い出したことがうれしかった。彼ら、彼女らは私にとり『小さくて大きなライバル』です」と語った。
▽過疎にも負けず
今回の一連の出来事を地元住民はどう受け止めているのか。人口33人のモンテレッジォの入り口の広場には、どっさりと本が積まれたかごを担いで歩く行商人の姿をかたどった石像が立つ。そして、隣村のムラッツォは長編叙事詩「神曲」を書いたダンテが一時期暮らしたとされる。神曲の村にまつわる部分の記述が刻まれた本のモニュメントまであり、この一帯の人々が、古くからいかに本と関わり合って暮らしてきたかが分かる。
モンテレッジォでは過疎が進むが、夏には著名作家が訪れる「本祭り」が開かれ多くの人でにぎわうという。村で生まれ育った大工のグリエルモ・ベルトーニさん(78)は、子供たちの取り組みを大歓迎するとした上で、自分に言い聞かせるようにこう述べた。「代々受け継いできたものも放っておけば忘れ去られ消えてしまう。子供も大人も一緒になって伝統と歴史を守っていかなければならない」