「番長ジュニア」父超え、甲子園目指す 平学の三浦澪央斗

 偉大な父の背中を追う神奈川の高校球児がいる。ベイスターズで長年「ハマの番長」として活躍した三浦大輔投手コーチの長男・三浦澪央斗(れおと)(17)=平塚学園2年=だ。プロ通算172勝の父でさえ、高校時代に成し遂げられなかった甲子園出場を目指し、練習に汗を流している。

 2016年9月29日。横浜スタジアムで行われた父の引退試合で、澪央斗少年は始球式の大役を任された。当時は中学3年生。「緊張して頭が真っ白でした」。父直伝のテークバックから、渾身(こんしん)の一球を投じ、超満員の観客から喝采を浴びた。

 青葉緑東シニアで活躍した右腕は卒業後には親元を離れ、1998年夏には西神奈川代表として甲子園に出ている強豪校に進み、寮生活を始めた。昨秋の新チーム発足後にベンチ入りを果たし、父と同じ背番号18で公式戦デビューも飾って、2試合の勝利に貢献した。

 最大の持ち味は180センチから投げ下ろすスピンの利いた直球で、入学時に120キロだった球速は現在134キロまで伸びた。「(ボールの)回転数が自分の持ち味。球速も上がればぐいぐいと押していける」と春には140キロ台到達を目指している。

 地元球団のスター選手を父親に持つことで、いやが応にも周囲の注目を浴びる。最初は戸惑いも感じたが、「親が野球選手というのは変わらないので気にしてもしょうがない」と宿命を受け入れ、ひたむきに白球を追っている。

 現役時代からリーゼントがトレードマークだった父は「家では普通のお父さん」。休日には一緒に食事や買い物に出掛け、球速が上がったことを報告してもクールな対応だが、息子のいないところで大喜びしているという。

 最終学年の目標は平塚学園にとって21年ぶりとなる甲子園出場だ。奈良・高田商3年時に夏の県大会決勝で敗れた父親からは「もし甲子園に出ればお前の勝ちだよ」と励ましを受けてきた。

 横浜スタジアムのマウンドには、あの始球式以来立っていない。「ずっと父が投げていたので、自分も一球だけじゃなくて、何球でも投げたい気持ちがある」。憧れの父が躍動した場所に、今度はエース番号を勝ち取って立つつもりだ。

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