「壊れてしまったらしょうがない」鷹戦力外→燕移籍、寺原隼人が胸中を激白

中日との練習試合で好投したヤクルト・寺原隼人【写真:荒川祐史】

プロ18年目で4球団目のユニホーム「似合ってます?」

 プロ生活18年目。35歳となった右腕は今季、プロ4球団目のユニホームに袖を通している。「似合ってます?」と笑う表情は明るい。身にまとった赤いストライプの入った新たな“戦闘服”は、さほど違和感なくフィットしていた。

 ヤクルトの寺原隼人投手だ。

 2001年にドラフト1位でダイエーに入団。横浜、オリックスと渡り歩き、2013年から再びホークスに復帰した。昨オフ、計11年間在籍したホークスから戦力外を通告された。そこに救いの手を差し伸べたのがヤクルトだった。

 新たな背番号「35」を背負い、寺原は沖縄・浦添市にある「ANA BALL PARK 浦添」でキャンプを過ごしている。話を聞いた日は、中日との練習試合。今季の実戦初登板を果たし、2連続四球はあったものの、2回を無安打無失点に抑えた。

「緊張しましたけど、今日の反省は四球連発のところだけですね。1番やっちゃいけないので、大反省です。やっとスタートを切れたかなという感じですね」。ヤクルトの一員として立った初の対外試合のマウンドを、こう振り返った寺原。新天地で迎えるプロ18年目のシーズンに向けて「こうやってチャンスをいただいているので、せっかくこうしてユニホームを着せさせてもらっているので、結果を出すことしか頭にはないです」と力を込めた。

 プロ生活は今季で18年目になる。プロ入りは2002年だ。横浜時代の2007年とオリックス時代の2011年に2桁勝利をマーク。2008年には横浜のクローザーとして22セーブを挙げるなど、先発、中継ぎと役割を問わず、長く実績を積み上げてきた。

戦力外からヤクルト入り「またイチからという気持ちで」

 ただ、寺原はヤクルトで迎えた2019年を「またイチからという気持ちで僕の中ではやっています」と言う。これまで積み上げてきた実績など、頭の中にはない。

「元々、戦力外になっているわけですから。こうやって拾ってもらっているので立場が全然違う。ヤクルトで実績を残している投手とは、全く立場が違う。18年間、長く野球生活をやっているかもしれないですけど、話は別です」

 35歳のベテランだが、また新鮮な気持ちでキャンプを送れているという。「全然カラーが違いますよ。やっぱりこう、なんて言うのかな、新鮮な目で見てくれているというのは感じますし、そう思っているし。やり方の違いも、言われることも違いますし、なんかまたより気持ちが引き締まる感じがしますね、新しい球団になると」。ダイエー、横浜、オリックス、そしてソフトバンク。これまでとまた違う環境を楽しんでいるようにも見えた。

 ソフトバンク時代の2014年に右膝を手術。2015年には8勝を挙げたが、その後は膝の痛みと“付き合いながら”プレーを続けてきた。若手の台頭、チームが世代交代を推し進めたこともあって出場機会は限られるようになり、昨季は21試合で防御率2.39という成績を残しながら、非情な通告を突きつけられた。

 右膝は完治することはなく、今後もケアしながら付き合っていくしかない。ヤクルトからもらった貴重なチャンス。寺原は覚悟の思いを口にした。

「とにかく悪くならないようにする、プラス、壊れてもいいと思ってやっているので。ケアしながら投げますけど、一生懸命やって壊れてしまったら、しょうがないという気持ちでやっている。特に今年は」

 拾ってくれたヤクルトのために、なんとしても結果を残したい。それと引き換えに、膝が痛んでも構わない――。覚悟を決めた35歳、寺原隼人。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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