「30歳でドラフト指名は夢がある」―NPB入りを狙う台湾2年目の日本人152キロ左腕

台湾球界挑戦2年目を迎える知念広弥【写真:(C)PLM】

NPB入りの夢を諦めきれず……台湾・統一に所属する知念広弥投手

 西武と台湾・統一ライオンズの交流試合が2月20、21日に行われる。この交流試合のメンバーには入らなかったものの、統一には一人の日本人投手が所属している。2019年に台湾球界挑戦2年目を迎える快速左腕、知念広弥投手だ。

 知念は1989年生まれ。2年連続で沢村賞を受賞した巨人・菅野智之投手と同世代だ。おかやま山陽高校、金沢学院大学を経て、九州三菱自動車で4年間プレー。九州三菱自動車では朝に練習して昼から社業に入るという一般的な社会人チームとは真逆の形態で、野球よりも社業が優先される環境だった。営業職ゆえに終業も遅い。「野球を考える時間だったり、体を休める時間がどうしても少なかった」という。

 九州三菱自動車ではロッテから16年ドラフト5位で指名、入団した有吉優樹投手とチームメートだった。「1個下ですけど、年下というイメージがあまりない。目標であり、友達みたいな感じですね。取り組む姿勢もよく、いい投手だと思っていました。一緒にやれば同じようにレベルを上げられるかなと思い、よく一緒に練習しました」。プロ入りを目指す知念の刺激となった。「僕にとって、野球で結果を出すには苦しい状況だった」。プロ野球選手になるという夢をかなえるために独立リーグ行きを決断した。「僕にとって、野球で結果を出すには苦しい状況だった。たくさん時間があるのが当たり前のことじゃないとわかって、一生懸命になれる。『あの時はこんなに時間がなかったけど、今はあるんだからやれよ』っていうのを自分に言い聞かせられるので、いい経験だったなと思います」。社会人野球の厳しい環境に身を置いたことは貴重な糧にもなった。

 九州三菱自動車の退社直前には140キロ程度に落ちていたが、ルートインBCリーグの新潟では1年で150キロまで戻ったという。「(野球に)かけられる時間がかなり増えたので、一気に成長できたと思います。投球の感覚も全然違った」。確かな手応えを感じていた知念の元には実際にプロ球団からの調査書が届き、スカウトも視察するようになったという。だが、年齢がネックになった。「スカウトが来ても、『いいね、何歳?』ってなった時に『25、26です』ってなった時に『うわあ、マジか』っていうような感じで……」。プロにも認められる実力を持ち、NPB入りに近づけていたという実感もありながらドラフト指名の声がかかることはなく、2017年に一度は28歳でユニホームを脱ぐ決断した。

 だが、プロ入りを諦められない。2018年3月に台湾に渡って自費で統一の入団テストを受けることに。そこで左腕から繰り出される143キロの速球と多彩な変化球が評価され、契約を勝ち取った。NPBでのプレー経験を持たない異色の経歴ながら台湾球界で入団テストを受験できた背景には、現役時代に台湾球界でプレーした経験を持つBCリーグ・新潟の監督・加藤博人氏の紹介があったという。大きく曲がるカーブを武器にヤクルトの日本一にも貢献した好投手だった加藤氏は、「能力的にはいいものを持っているから、このままでは惜しい」と、挑戦を模索する愛弟子の背中を押してくれたという。

シーズンに向けてトレーニングに励む知念広弥【写真:(C)PLM】

異国の地で「助っ人」として奮闘し、念願のプロ初登板を果たした2018年

 18年から異国の地で「プロ野球選手」としての第一歩を踏み出した。1軍に登録できる外国籍選手3人に次ぐ「第4の助っ人」という立場ながら、2軍で主に先発として18試合に登板して5勝1敗、防御率3.10をマーク。球速も152キロまでに上がった。その活躍が認められて8月に1軍昇格を勝ち取ったが、ここでも「3回投げるチャンスがあったが、2回潰れてしまった」という不運に見舞われてしまう。そのうちの1つは中継ぎ登板直前で雨で中止となった試合があったが、ここで極度に緊張したことが8月22日のプロ初登板初先発に生かされた。デビュー戦では緊張することもなく、4回まで犠飛の1点のみに抑える好投を見せた。

 だが、1球の気の緩みが命取りになった。5回2死。外角スライダーを投じ、「打ち取った感覚があった」という。攻守交代を確信してベンチに帰っていったものの、打球は予想以上に飛んでフェンス直撃。「結果的に、そこでちょっと気持ちが乱れたかもしれません」。そこから連打を浴びて6失点。4回2/3を7失点で敗戦投手となった。次回登板予定もあったものの、その試合も雨天中止に。8月31日には球団から自由契約を通告された。

 しかし、練習に臨む姿勢やハングリー精神が二軍の若手選手たちに好影響を与えていると評されるなど首脳陣からの評価は高かった。契約解除と同時に秋季と春季のキャンプ帯同が認められた。その後は台湾のアマチュアチームで実戦経験を積む選択肢もあったが、すでに来季に向けた明確なビジョンを持っていた。「体力面についても言われていましたし、課題が明確だったので、実戦を積むよりも今出ている課題を修正したかったんです。翌シーズンに向けて、とにかくトレーニングとブルペンの量を増やしたかったので、アマチュアの話は断りました」。球団側もその意図を汲み取り、戦力外となった外国籍の選手をキャンプまで有給でチームに帯同させるという、知念自身も「普通はありえない」という異例の待遇で迎えた。これも左腕の姿勢が周囲に良い影響を与えていたからこそだが、本人は自然体だった。「僕としては普通のことしかやっていない。台湾人の若手も質問しに来てくれたので、そこにはしっかり答えたつもりです」。面倒見の良さも含めた人柄が“契約延長”を手繰り寄せた。

 今オフは2軍の球数制限の影響もあって課題となっていた体力面の向上を目指すべく、マリナーズ・イチローも取り入れている”初動負荷理論”に取り組んでいる。今季の目標をこう掲げた。「僕は、統一ライオンズさんに猶予をもらったと思ってるんですよ。なので、絶対に1軍で活躍したいし、活躍すればもしかしたら(NPBが)見えてくるかもしれない。今年はワンステップ、ツーステップ上がれるチャンスがあるので、そこを目指して頑張りたいですね。1軍で活躍、NPB指名。30歳で指名となれば、夢があるじゃないですか」。諦めがいい方か、悪い方かと問うと、知念は「悪いほうだと思いますよ」と笑う。波乱万丈の野球人生を経て異国の地で挑戦を続ける152キロ左腕。台湾球界で名をあげ、そしてNPBのマウンドでその勇姿を見せてくれる日を心待ちにしたい。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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