「高輪ゲートウェイ」より関心薄い「非組合員」7割の衝撃度

JR東日本 1年前の〝きっかけ〟

©一般社団法人共同通信社

JR東日本の本社ビルと昨年12月に新駅名「高輪ゲートウェイ」を発表した深沢祐二社長

 JR東日本の深沢祐二社長が2月15日、日本記者クラブで会見した。各メディアが注目したのは羽田空港と東京駅を結ぶ「羽田新線」関連の話題だった。10年後に2つの駅を18分で結ぶルートの開業を目指して今年5~6月にも環境アセスメントに着手するとの発表は交通の利便性が高まるという関心から各社の〝食いつき〟はよかった。昨年末、同じ深沢社長が明らかにした品川―田町駅間の新駅名「高輪ゲートウェイ」のようにSNSで沸騰することはなかったが、紙面や放送ニュースの枠に確実に入れるべきニュースと各社判断した。しかし、50分超かけて羽田新線など会社の現状を説明した深沢社長の最後の言葉、その「別次元」の内容に記者たちは一瞬息をのんだ。最大労組だった東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)から組合員の脱退が相次ぎ、どの労組にも加入していない社員がついに7割近くに達した―。経営トップがわざわざ言及した組合加入率の変遷。共同通信以外に報じた社はあまりなかったが、このドラスティックな変化、背景を振り返りたい。(共同通信=柴田友明)

 

 4万7千人(昨年2月1日) 

 1万5千人(昨年5月1日) 

 1万1970人(今年1月1日)

 

 わずか1年近くで4分の1。JR東が回答してきたJR東労組の組合員数だ。きっかけは昨年の春闘で、組合側が昨年2月19日、ストライキの予告「争議行為の実現可能性」を会社側に通知したことだった。全組合員一律定額のベースアップを要求したが、会社側は否定的な立場を取ったことへの対応だった。

 「列車の運行に支障にきたすことはない」と、東京や千葉の職場で研修などに組合員が研修などに参加しないレベルとされた。しかし、1987年の国鉄分割民営以降、ストをしたことがないJR東の社内、とりわけ当事者のJR東労組の多くのメンバーは全く違う行動を取り始めた。組合員の脱退が相次ぎ、約4万7千人のうち3カ月で約3万2千人が脱退した。想定外の自壊作用に、組合執行部は5日後の昨年2月24日に指令を解除したが、ドミノ倒しのような脱退は収まらなかった。組合側は4月に「多くの脱退を生じさせ組合員に不安と混乱を与えてしまった本部指導に関して深くおわびする」との見解を臨時大会後に示した。その後、共同通信の取材に「コメントできる状況でない」としている。

 組合員の動揺はどこから生じたのか。「活動への参加や組合費など、日ごろからの組合への不満が、スト通告を契機に一気に噴出したのではないか」。労組関係者は共同通信にコメントしている。会社側は社長名でストを行えば社会からの信用を失うとして社員に文書で呼びかけ、JR発足以降、組合との協調路線を掲げて結んできた「労使共同宣言」の失効を組合側に通知した。時を同じくして、政府はJR東労組について「影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」とする答弁書を決定している。

 「昭和とは違う。平成以降に入社した大卒社員はこれまでの労使関係、その歴史をよく知っている」「若手社員の組合への忌避感があまりにも大きかった」。筆者が取材したJR幹部は社員を突き動かした背景を語った。その話の中で経営トップにこれまでの労使関係を見直すよう強く求めた幹部もいたという。 

 組合員の大量脱退については、2010年に74歳で亡くなったJR東労組のトップリーダーだった松崎明氏の存在を「回想」するように言及するメディアも多かった。

 旧国鉄時代に「動労」を率いて国労とともにストを打ち、〝鬼の動労〟とまで異名を取った組織の指導者だったが、松崎氏は国鉄分割民営ではそれまでの対決路線を一変。労使協調路線を取っていた「鉄労」と手を組み、最大労組となるJR東労組初代委員長となった。2003年までにすべての役職を退任したが、JR東で強い影響力を持ち続けたとされる。

 「かつて革マル派結成時の幹部だったことを認めているが、その後の関係は否定している」と共同通信は松崎氏の死亡記事でそう報じている。一方で、平成の時代になってもJR東労組の幹部が革マル派と対立するセクトから襲撃され死傷する事件もあり、筆者が警視庁を担当した1990年代の取材現場では明確に切り分けられない存在だった。当時は革マル派が拠点にしていた都内の複数の〝アジト〟の捜索で警視庁幹部、大学関係者らへの電話盗聴、警察無線の傍受の記録、コピーされた膨大な個人宅のカギ、写真などが見つかり、捜査当局が震撼した時代だった。 

 90年代後半から2000年代になって松崎氏をテーマにした記事が週刊文春、週刊現代で連載され、新聞・放送メディアが踏み込んでいなかった内容は話題を呼んだ。これに対して、キヨスクで該当する週刊誌の販売を止めたり、組合が出版社や筆者を訴えるといったJR側の〝労使協調〟もあった。

 「JRの妖怪」(1996年イースト・プレス、小林峻一氏著)、「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(2007年講談社、西岡研介氏著)で当時の状況が描かれている。 

 ちょうど1年前に始まった「大量脱退」の経緯、組合の求心力の低下。さまざまな伏線があり、それが平成最後の年にあまりニュースとして高い関心を呼ばない時代になった、ということだろうか。